14/06/22 21:24:00.01 GpgAe+jv
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成果主義に落とし穴 ドラッカーが認める評価法は ドラッカーに学ぶココロの処方箋(9)(2/3ページ) 2014/6/22 日本経済新聞
(抜粋)
■数値以外の感覚を共有する場を作る
ドラッカーは、評価することの難しさを次のように表現している。
「測定という行為は、客観的でも、中立的でもなく、主観的な行為であり、何がしかの偏りを持たざるをえない。
(中略)測定の対象は、新たな意味と新たな価値を賦与される」(『マネジメント エッセンシャル版』)。
つまり、評価する側の主観を排することは難しく、評価項目を選定した時点でその意味や重要度が変化してしまうということだ。
組織が成果を上げるうえで必要な事象を、すべて定量化可能な評価項目に織り込むことは不可能なだけではなく、
評価者の主観による偏りも生む。制度としての目標管理はそうした矛盾をはらむことを前提として、上司と部下は正しく評価し、評価される努力を重ねていかなくてはならないだろう。
では、どんな努力が出来るだろう。
目標設定や評価とそれを伝える手段としての定量化を行うと、「定量化できないもの」の重要性を知りながらも、ついそれを忘れがちである。
目が向きやすい部分だけで判断していると、人間としての交流が失われ、メンタルヘルスに悪影響を及ぼすこともある。
「定量化できないもの」があることをいかに上司は意識し、部下の評価に臨めばよいだろうか。
■全体としての貢献という視点で見る
現代は、「全体は部分の総和であり、定量化できて意味を持つ」と考えたモダン時代から、「全体を全体として把握しなければならなくなった。
命あるものとして見なければならない」とするポストモダン時代になったとドラッカーは指摘している(『テクノロジストの条件』)。
これは個人の評価についても同じである。
各項目の評定値の足し算ではなく、その個人全体で見て「組織に対してどんな貢献をしているか」を考えてみる。
すると、個人が上げる数値的な成果だけではない全体像が見えやすい。
そこには、営業としての「売り上げ」やプロジェクトの「進捗度合い」だけではない何かが見えてくるはずだ。