14/05/31 21:21:23.01 a7itfsEv
ちょっと古いが、内容は古くなっていない
URLリンク(mitsui.mgssi.com)
寺島実郎の発言 連載「脳力のレッスン」世界 2009年10月号
(抜粋)
麻生首相までが、衆議院解散を前にした自民党の両院議員懇談会において、「市場原理主義への訣別」に言及した。
麻生政権が踏み込んだ市場原理主義からの訣別宣言の意味は重い。
政治潮流の根底に、「西側陣営のチャンピオンとして冷戦の勝利者となったアメリカ」「アメリカの一極支配、ドルの一極支配」という認識が埋め込まれ、
米国流資本主義の世界化を「グローバリゼーション」と受け止めて、「日本をアメリカのように競争主義、市場主義が徹底した国に変えていくことの必要性」が「改革」として叫ばれるようになっていった。
小泉政権とは、そうした潮流の到達点であり、米国流市場主義礼賛の徒花のごとき存在であった。
二〇〇一年の対日要望「規制改革および競争政策イニシャティブ」となって一段と強烈に突きつけられ、
駆り立てられるように「市場主義の徹底」にのめりこみ始めた日本の行き着いた先が「小泉構造改革」なのであった。
そうした潮流の恩恵を受けた人たちが「改革派」として胸を張り、二〇〇五年九月の郵政選挙において、候補者ホリエモンの手を高々と上げる竹中平蔵大臣という姿こそ、あの時代を象徴するものであった。
「サブプライムなる挫折」を経て、米国自身が「チェンジ」と叫び、パラダイム転換を図り始めた。
「新・自由主義」といわれた自由市場の価値を重視する資本主義の総本山ともいえる米国自身が宗旨変えをしてしまったようなものである。
オバマ大統領を選び出し、金融セクター安定化のための政府支援のみならず、金融規制の強化、自動車大手GMへの六割救済出資など、政府による経済介入を強めている。
市場主義・競争主義の行き過ぎがもたらす災禍への反省と路線転換は、今や世界的潮流とさえいえる。
資本主義社会を利益願望だけが渦巻く殺伐たるゲームにしないためには、この社会を支える当事者が経済的利益を超えた「人間社会の価値」について理念と哲学を持たねばならないということである。流行や借り物ではない価値を。
351:名無しさん@3周年
14/06/01 11:42:55.81 F5uQ4JzI
ほい
URLリンク(blogos.com)
うさみのりや 元・経済産業省官僚 2014年05月21日 23:06
厚生労働省は解体するしか無いと思う
霞ヶ関にいた時に感じたのですが、厚生労働省というのは、医療、年金、介護という巨大な官製経済の世界を持ち、また労働監督を通して世知辛い世間に弾かれた人々を日々見つめる立場ですので、
パターナリズムというか温情主義というかそういった文化が非常に強い省庁であるように思えます。
これからインフレ2%が続くだとか、実質GDP2%成長を続けて税収も増えていくだとか、150兆円規模の基金を年利4.2%で回すだとか、正社員で雇用を安定させて70歳まで定年をのばすだとか、
そういった先行きに対する無茶な政策コミットが次々と結ばれてその都度修正されていく姿は、ピノキオもいいところなのではないかと思っている次第です。
ウソをついては修正し続けている本人達もきっと苦しいと思いますよ。
彼らだってそれが言いたくていっているわけじゃなくて、こういう制度を作ってしまった先人の政治家・官僚・ひいては国民の妄想に付き合っているだけなんですから。
鈴木亘先生なぞが度々指摘していることですが、残念ながらもはや現在の形での日本の社会保障制度は破綻しているといっても過言ではありません。
厚労省の先には破滅的な結末しか待っていないような気がします。
そんなわけで将来に対するコミットをなるべく軽くして、現在の解決可能な現実的な問題に焦点を当てられるように、厚生労働省は解体すべきなのではないかと個人的には思っています。
そもそも将来の人生設計というのはパターナリズムで政府が面倒見るのではなく、個人の責任で立てるというのが本来の資本主義社会の在り方なのではないでしょうか。
もちろん政府年金制度がいらないという気は毛頭ないのですが、それだけで老後の生活が成り立つようなあやまった社会幻想は取っ払う必要があるように思えます。
352:名無しさん@3周年
14/06/07 09:05:54.74 2Vm8hGV0
ほい
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
アジア通貨危機/白人資本主義バブルのハキダメ 2013/9/29
(抜粋)
2001年のノーベル賞経済学賞を受賞したジョゼフ・スティグリッツは、1997年に世界銀行でチーフ・エコノミスト兼上級副総裁としての勤務を始める前夜、記者会見でこう抱負を述べた。
「経済学者としての現在の最大の挑戦は、拡大している現代の貧困の問題に取り組むことだと思っている。
世界銀行でこの問題に取り組んでいくうちに、彼は驚くべき発見をする。
まさか発展途上国の直面している主要な障害が、(ワシントンの世界銀行の)通りの向かい側に本拠をかまえる姉妹機関のIMFにあるとは当時、思ってもいなかった。
世界の貧困と戦うためには、それを作り出しているIMFと戦わねばならない、そう考えてスティグリッツがまとめたのが、「世界を不幸にするグローバリズム」である。
■IMFの口出し
IMFの融資条件が本当に危機脱出のために有効ならこういう口出しも許されようが、スティグリッツはその内容が誤っており、危機を逆に拡大してしまった、と言う。
■ついに暴動発生
IMFはまた金融機関の体質を問題にして、自己資本比率(使用総資本に対する自己資本の割合)の基準を直ちに満たすか、それが出来ない銀行は閉鎖するよう要求した。
経済が下降している中で新しい資本を集めるのは難しいので、新たな融資を断ったり、貸付先企業に返済を迫った。
その結果、ますます多くの企業が倒産し、銀行側も不良債権が増えて、体質はますます悪化した。
スティグリッツの「どんな悲劇が起こるか分からない」という警告は、98年5月のインドネシアでの暴動となって現実化した。
数万人が暴動に加わり、多数の商店、銀行が略奪・放火され、約30カ所で火の手が上がった。
■IMFの言うことを聞かなかったマレーシア
IMFの言うがままとなって、壊滅的な打撃を受けたインドネシアとは対照的に、隣国マレーシアのマハティール首相はまったく独自の行動をとった。
規制によって投機資本の攻撃から通貨を守りつつ金利は低く抑えたので、企業の倒産も少なく、IMFの処方箋にしたがったタイやインドネシアなどよりも下降は浅く、回復は早かった。
353:名無しさん@3周年
14/06/08 02:05:20.84 zI3oOOW2
インターナショナルは天安門事件の時に歌われました。 中国共産党への抗議への意味を込めて。
しかし、中国共産党の圧政は今だに続いています。 少数民族のチベット人への弾圧も今だに続いています。
この曲を歌いながら中国共産党の圧政に抗議しましょう! フリーチベット!(チベットに自由を!) そして フリーチャイナ! (中国に自由を!)
起て飢えたる者よ
URLリンク(www.youtube.com)
354:名無しさん@3周年
14/06/08 06:01:39.77 YVlkdNPR
ほい
URLリンク(kiheitai.soc.or.jp)
1999/03/20 支配の構造 - アメリカ(1)
(抜粋)
[アメリカ合衆国の支配の実態]
この国には建国以来、政治的な建前として「自由と民主主義」というイデオロギーがあり、この建前が多民族か
つ多宗教(宗派)からなる複雑な国家構造の枠組みを強く支えてきたのである。このイデオロギーは
また資本主義の発展の強力な推進力ともなったのである。現在、日本はこのアメリカの属国であり、
アメリカの支配下におかれていると言っても過言ではない。われわれ日本人は日本のこれからのあ
るべき姿を模索していく際にアメリカという国家の支配構造を明確に把握しておく必要がある。
現代のアメリカはWASPと呼ばれる人々が国家を支配しているのではなく、WASPを含めたある一群
の人々がアメリカという国家を巧妙に支配しているのである。このことはあとで詳しく論じることにする。
現在、アメリカでは約2億6500万人の国民が生活している。このうち数十万人のアメリカインディアンの子孫
を除いては、すべて外部から流入した移民の子孫達である。彼らは徹底した民族教育を受け、アメリカ式ルー
ルのもとで「世界で最も豊かな国の国民」という誇りと自負をもって生活しているのである。しかしその実態は
表向きの繁栄とは異なり、社会階層の上位1%の人間が全国民の総資産の60%を所有する極端に不平等
な階層社会となっている。そしてかって存在した古き良きアメリカを代表する健全で陽気なアメリカの中産階級
は1970年代を境に没落の一途をたどり、今やどこにもその姿を見ることができなくなった。アメリカ建国当初、
WASPの祖先が理想とした自由と平等と博愛を実現するアメリカの姿はもはやそこにはなく、それに代わって
1%の超富裕階級が残りのすべて国民を収奪し支配する寄生国家アメリカの姿がそこにはある。われわれ
日本人には想像もつかないことだが、今のアメリカでは200万人の億万長者が豊かさの極致を謳歌している
反面、2000万人を越える明日の食事にもありつけない極貧の生活を送るアメリカ国民が存在するのである。
355:名無しさん@3周年
14/06/08 17:12:58.26 YVlkdNPR
>>353
どもです
応援したいね
天安門事件への抗議
356:名無しさん@3周年
14/06/15 10:42:12.41 QLpO6PAG
>>354 続き
URLリンク(kiheitai.soc.or.jp)
1999/03/28 支配の構造-アメリカ(2)
資本主義の発展をうながした「予定説」について簡単に説明しておこう。
聖書の「予定説」によれば、「人はこの世に生まれてくる以前から神によって運命が定められており、個々人の救済もあらかじめ決まっている。さらにこの世で
人がいかに熱心に信仰しようがすまいが神による救済の決定は絶対に変えることはできない。」というものであった。
カルビンはこの「予定説」に対して次のような解釈をくだすことでピンチを最大のチャンスに変えたのである。
すなわち人は自分が神に救済される人間かどうかを知る唯一の方法がある。そのためには人はこの世で
禁欲と勤労の生活を送り、懸命に働いて富(金)を手に入れ、その富を享楽に使わず再生産のために投資
を行い、さらに勤労に励まなければならない。このような禁欲と勤労の生活を生涯にわたって繰り返すこと
によって富が蓄積されていくならば、それが神がその人間を救済することを認めた証拠であるとしたのである。
この考えは非常に分かりやすく、何よりも個人が豊かになる富の追求と宗教的救済がワンセットになっていた
ため庶民の間に爆発的に広まっていったのである。
こうしてイギリスではプロテスタンティズムが国家の公認宗教と
なったため、熱烈な宗教心と富の追求が一体化して資本主義が本格的に胎動し発展していったのである。
先に述べた通りWASPの先祖はこの清教徒(ピューリタン)の一派であった。アメリカのプロテスタントは元来、
アメリカ東部のニューイングランドに住み着いたピューリタンの集団だったのである。彼らは当初、選民意識
が強く、救済の確信のもとに自らの信仰を守ることに情熱を注ぐ独善的で閉鎖的な宗教集団であった。彼ら
は布教を行わず、ピューリタンだけで構成される聖書による共和国をめざしていたのである。
アメリカは独立戦争に勝利した後、必然的にプロテスタントの富を求める経済活動から国土を南部、中部、
西部へと拡大していった。こうして東部に根づいていたプロテスタントはアメリカ全土に散らばっていったの
である。
357:名無しさん@3周年
14/06/15 10:46:58.50 QLpO6PAG
>>356 続き
URLリンク(kiheitai.soc.or.jp)
1999/03/28 支配の構造-アメリカ(2)
(続き)
アメリカはプロテスタントに加え、カトリック教徒、ユダヤ教徒、キリスト教の新興宗教など、さながらキリスト教的
一神教のメッカとなっている国家である。そしてこれらの多数の宗派と様々な人種や民族の形成する社会階層
が呼応して、アメリカは民族と宗教と階層を三つの軸とする三次元的な座標空間のモデルとしてとらえることが
できるのである。アメリカ国民とはその座標空間の座標の数だけタイプがあると考えられるのである。しかしこの
国には南北戦争以後、多数の移民と宗教の流入にも関わらず国家を分断するような大規模な内乱は一度も起
こっていない。それは先に述べた通り、表向き「自由と民主主義」という政治理念と「資本主義」という経済原則
が国民に夢と実利あたえてきたからである。アメリカは壮大な人類の実験国家であった。無尽蔵の天然資源の
眠る広大な国土の中に、それぞれの母国で食い詰めた様々な民族からなる無数のハングリーな貧者を投入し、
「自由と民主主義」と「資本主義」という二つの理念を与え、そのルールのもとで自由に競争をさせた時にいった
い何が起こるかを実験したのがアメリカという国家であった。その結果、人類は人種、民族、宗教が如何に異な
っていようとも「自由と民主主義」という精神的栄養が満たされ、かつ「資本主義」の産み出す経済的栄養にも満
されるならば、一つの国家の中で十分に共存していくことができることを証明したのであった。
358:名無しさん@3周年
14/06/15 11:17:24.53 QLpO6PAG
>>356 続き
URLリンク(kiheitai.soc.or.jp)
2001/04/30 私における小室直樹(抜粋)
私には小室に対して大きな疑問を抱いていることがある。彼には国際金融財閥を正面から扱った著作がただの一部もないことだ。
彼は本気で経済現象が人間を超えた経済法則によって動くものと確信しているのだろうか。
そう考えているとするなら小室は本当の「学者馬鹿」と言うほかはないだろう。
経済とは人間の欲で動いているものである。それも巨大な金を動かせる人間の欲によってである。
経済法則などというものはその結果を統計処理しマクロ的に解釈して法則化したものに過ぎないのだ。
ここに一冊の本がある。1988年に青春出版から出版された「経済裏陰謀の常識」という本だ。
この本はイルミナティの経済裏陰謀を日本で初めて紹介した衝撃的な内容の本だ。
この本には1989年に日本経済の破局があると予言されているが、それはみごとに的中している。
著者は馬野周二(うまのしゅうじ)氏。日本における陰謀論の草分け的存在である。
馬野氏は通産省の技官を勤めたあと戦後まもなく米国に渡り化学技術者として長く活躍したのちニューヨーク工科大学の教授を勤めた人だ。
この著書の推薦者の一人として小室直樹が名前を連ねている。
「1989年に経済破局がくる。フリーメイソンなどイルミナティの手先に過ぎない。
イルミナティはアメリカ東部のエスタブリシュメントを巻き込み、虎視耽々と日本の喉笛をねらっている。
大恐慌を起こしそのどさくさにまぎれて日本経済を征服しようというのだ。
この大陰謀にくらべればオイルショックの円高不況でさえも児戯に類する。
アメリカ研究の泰斗馬野氏渾身の力作。馬野経済史観による日本経済の将来を予測するの書。」とある。
この推薦文から分かる通り小室は国際金融財閥の実態を熟知しているのである。
四年間のアメリカ留学生活であったが彼はアメリカに巣食う強大な権力の実態を正確に把握していたのである。
渡米前、友人に必ずノーベル賞を獲って帰って来ると豪語した小室が数年後「もうアメリカから何も学ぶものはない」と言って静かに帰国した背景には
ノーベル賞が国際金融財閥に奉仕した人間にだけ与えられるご褒美に過ぎないことを喝破していたからに他ならない。
359:名無しさん@3周年
14/06/15 11:37:11.01 QLpO6PAG
>>356 続き
URLリンク(www.nishiokanji.jp)
2012/8/16 木曜日
百年続いたアメリカ独自の世界システム支配の正体(三)
(抜粋)
モノづくりで勝てないアメリカは金融資本主義の道をひた走って、
今度は何とか新たに脱資源的システム支配を目指し、EUもまきこんで過去十三年間の短い期間で何と100兆ドル、1ドル100円とすれば1京円、
しかもレバレッジをかけて倍増させ200兆ドル、2京円の根拠なきカネを空(くう)につくり出した。
七十年前にアメリカ通の山本五十六司令長官にも見えなかったアメリカの暴走が、歳月を経てまたまた急転回している。
今度もまたしてもアメリカと西欧諸国との間では歩み方に微妙な違いがある。
イラク戦争はユーロとドルの通貨戦争の趣きがあった。イラクの石油の直接支配は必ずしもアメリカの戦略の中になかった。
アメリカの中東石油依存度は10パーセントぐらいで、決定的な大きさではない。
中東の石油売買がユーロ建てになって、基軸通貨としてのドル支配が壊れるのは破局だという危機感がアメリカにはあった。
これがイラク戦争の原因である。
ユーロからドルを守るために、戦争を起こしながら、世界を間接支配しようとするアメリカ一流の戦略であったと考えられる。
360:名無しさん@3周年
14/06/15 11:46:09.35 QLpO6PAG
>>356 続き
URLリンク(ja.wikipedia.org)
一極体制以降の国際情勢
社会主義国が軒並み没落したことで資本主義の勝利が叫ばれ、「新自由主義」とも呼ばれるアメリカ型の無規制な資本主義が世界を席巻するようになった。
それまで親米的であることによって経済的繁栄を享受してきた国々は、冷戦構造下のイデオロギー対立が消滅することによって、かえって経済的危機に陥ることとなった。
例として、日本では「失われた10年」(2010年現在では「失われた20年」)と呼ばれる停滞期に突入し、韓国やインドネシアなどでは「アジア通貨危機」とそれに伴う失業率の激増に陥った。
冷戦時代の西側諸国の多くは、アメリカ型の自由放任型資本主義体制ではなく、ケインズ主義やコーポラティズムとも呼ばれる協調的・混合経済的な資本主義体制であった点に注意すべきである。
2010年代以降の動向
アメリカ合衆国による一極支配が、終わりを迎えつつあることが2010年代に入って以降指摘されはじめている[2]。
一方、シェールガス革命や民主主義に代わる価値観の不在などを理由に、アメリカはこれからも世界をリードする超大国であり続けるという意見もある[3]。
ただ、シェールガス革命はアメリカの救世主とはなりえないという意見もある[4]。
それまで活発だったネオコンの退潮は事実であり、アメリカの外交政策も2010年代に入ってブッシュ時代から大きく変化していることは確かである。
アメリカの2015年会計年度国防予算は、緊縮財政と国内の厭戦気運を反映し、大幅に予算が削減され、部隊も削減されることとなった。
日本では産経新聞など親米保守メディアを中心にオバマ政権をかねてから「内向き」などと批判しているが、今までのアメリカのやりたい放題がようやく終わり、新しい世界体制がやってくる第一歩という逆の見方もある[5]。
361:名無しさん@3周年
14/06/22 21:17:42.44 GpgAe+jv
>>347 関連
URLリンク(www.nikkei.com)
成果主義に落とし穴 ドラッカーが認める評価法は ドラッカーに学ぶココロの処方箋(9)(1/3ページ) 2014/6/22 日本経済新聞
(抜粋)
日本での成果主義は失敗したと言われて久しい。
成果主義とメンタルヘルスの関係を研究した天笠崇医師は、成果主義の導入が従業員のメンタルヘルスに悪影響を及ぼしたことを指摘している。
その原因は、勤務の長時間化、評価への不満、短期的成果への要求増大、協力関係の希薄化、ハラスメントの増長などが挙げられる。
その後、制度を見直している会社も多いが、それでもなお社員のモチベーションやメンタルヘルスの向上につながらないケースが多いのはなぜだろうか。
今回もドラッカーの名言を参照しながら、事例を基に考えてみよう。
■定量化するほど他の要素を見落とす
目標管理はドラッカーが提唱したとされているが、誤解もある。
ドラッカーが提唱したのは「Management by Objectives and Self-Control」、つまり「自分自身による」目標管理。
現在多くの組織で用いられているのは「上司による部下の」目標管理であり、識者のなかにはドラッカーの意図が正しく反映されていないとする意見も多いようだ。
他者による目標管理においては、その成果を定量化しなければならない。
ドラッカーは、こんな言葉を残している。「社会的事象の中で真に重要なことは定量化になじまない」(『ドラッカー 365の金言』)。
ドラッカーは管理するために定量化を行うほど見えないものを見落とす危険性があると警告している。
「測定と定量化に成功するほど、それら定量化したものに注目してしまう。
したがって、よく管理されていると見えれば見えるほど、それだけ管理していない危険がある」(『マネジメント エッセンシャル版』)。
評価項目や基準が変われば、従来の評価から上がったり下がったりする人が出てくる。
一方で、周囲から「この人がいてくれて助かっている」と認められていても、「その能力や成果を測定できない」という理由でいつまでも評価されないケースもある。
362:名無しさん@3周年
14/06/22 21:24:00.01 GpgAe+jv
>>361 関連
URLリンク(www.nikkei.com)
成果主義に落とし穴 ドラッカーが認める評価法は ドラッカーに学ぶココロの処方箋(9)(2/3ページ) 2014/6/22 日本経済新聞
(抜粋)
■数値以外の感覚を共有する場を作る
ドラッカーは、評価することの難しさを次のように表現している。
「測定という行為は、客観的でも、中立的でもなく、主観的な行為であり、何がしかの偏りを持たざるをえない。
(中略)測定の対象は、新たな意味と新たな価値を賦与される」(『マネジメント エッセンシャル版』)。
つまり、評価する側の主観を排することは難しく、評価項目を選定した時点でその意味や重要度が変化してしまうということだ。
組織が成果を上げるうえで必要な事象を、すべて定量化可能な評価項目に織り込むことは不可能なだけではなく、
評価者の主観による偏りも生む。制度としての目標管理はそうした矛盾をはらむことを前提として、上司と部下は正しく評価し、評価される努力を重ねていかなくてはならないだろう。
では、どんな努力が出来るだろう。
目標設定や評価とそれを伝える手段としての定量化を行うと、「定量化できないもの」の重要性を知りながらも、ついそれを忘れがちである。
目が向きやすい部分だけで判断していると、人間としての交流が失われ、メンタルヘルスに悪影響を及ぼすこともある。
「定量化できないもの」があることをいかに上司は意識し、部下の評価に臨めばよいだろうか。
■全体としての貢献という視点で見る
現代は、「全体は部分の総和であり、定量化できて意味を持つ」と考えたモダン時代から、「全体を全体として把握しなければならなくなった。
命あるものとして見なければならない」とするポストモダン時代になったとドラッカーは指摘している(『テクノロジストの条件』)。
これは個人の評価についても同じである。
各項目の評定値の足し算ではなく、その個人全体で見て「組織に対してどんな貢献をしているか」を考えてみる。
すると、個人が上げる数値的な成果だけではない全体像が見えやすい。
そこには、営業としての「売り上げ」やプロジェクトの「進捗度合い」だけではない何かが見えてくるはずだ。
363:名無しさん@3周年
14/06/22 21:43:48.66 GpgAe+jv
>>362 関連
URLリンク(www.nikkei.com)
成果主義に落とし穴 ドラッカーが認める評価法は ドラッカーに学ぶココロの処方箋(9)(3/3ページ) 2014/6/22 日本経済新聞
(抜粋)
■あえて定量化できない部分を挙げる
目標管理において評価項目の数値に基いて評定した後は、定量化できないその人の特徴を挙げて本人に伝えてみよう。
「優しい」「明るい」「真面目」「臨機応変」「ケチ」「せっかち」「小心者」…。ポジティブなものはそのままに、ネガティブなものはポジティブに言い換えて伝えよう。
「ケチ→金銭感覚がしっかりしている」「せっかち→行動が早い」「小心者→慎重に物事を進める」など表現の仕方によって長所に変わる。
自分の中にある見えにくい部分を「上司が見ていてくれた」と感じることは部下のやる気を大きく刺激する。
「管理手段は、測定可能な事象のみならず、測定不能な事象に対しても適用しなければならない」(『マネジメント エッセンシャル版』)というドラッカーの言葉をもう一度かみしめたい。
■上司と部下の“評価”の違いを話し合う
目標管理面談を、上司が部下に評価を伝えるだけではなく、部下の自己評価と突き合わせて、「その差はなぜか?」を話し合う機会にするとよい。
最終的に上司の評価が覆ることが目的ではなく、上司、部下それぞれから見た違いをお互いが理解すれば、今後の目標設定や評価の調整に役立つ。
なにより、部下が「なぜこの評価なのか?」との思いを残さずに済む。
その話し合いの中では、お互いの価値観や仕事に対する取り組み方など評価項目に含まれないことも出てくるだろう。
それが大切だ。
改めて見えないものに注目しなければならない。ドラッカーは次のようにその配慮の必要性を強調している。
「定量化することはもとより、定義することさえ困難である。とはいえ、把握不能ということはない。いたって明白である。
データ化できないというだけにすぎない。データ化できないものを考えなければならない。データ化できないものについての配慮を忘れたデータ化は、組織を間違った方向へ導く」(『マネジメント-課題・責任・実践』)
364: ◆Rfkp.U.alk
14/07/28 18:42:32.68 ILBws55H
>>363
定量化が有っての「定量化できない部分」。
定量化できない部分がある、って話はすぐに定量化しなくてもいい、定量化は意味ないって方向に行っちゃう。
定量化できない部分は確かにある。
けど、評価者も被評価者も定量化できないことに甘えてはいけない。
定性的でもいいからそれが何なのかを突き詰めて考えないと、「なんとなくいいですね」的な評価になる。
それはすごく大変で大事な作業だ、ってドラッカーは言ってるわけだ。
けど、これって無茶苦茶難しいから、定量化できる部分で止めた方が公平感納得感が高い場合が多いように思う。