14/03/08 10:50:39.62 kj9v6nqt
>2
>2013年のいま、ゆり戻しが来ていると見る
> 90年代日本をライバル視していた米国は、超大国中国の勃興とロシアの復権で、再び日本を有力なパートナーとして必要とする時代が来ていると見る
予想通りの展開になってきた
URLリンク(www.jiji.com)
中国、対ロ制裁に反対=ウクライナ (2014/03/07-17:49)
【北京時事】中国外務省の秦剛報道局長は7日の記者会見で、
ウクライナ危機に絡む米国による対ロシア制裁措置に関して、「国際関係において何かあるとすぐに制裁を発動したり、制裁で互いを脅かしたりすることには一貫して反対だ」と述べた。
秦局長は関係国に「情勢を一段と緊張させるような行動を避け、共同で努力して政治的に解決する方法を模索してほしい」と要請。
クリミア半島で16日に実施されるロシア編入の是非を問う住民投票に関しては「平和的に問題を解決し、ウクライナの各民族の利益を維持し、社会秩序を早期に回復することを求める」と述べるにとどめた。
301:名無しさん@3周年
14/03/08 10:55:43.66 kj9v6nqt
>>298
>wwwありましたけどwww
>開発や資源として森林を伐採しすぎて、
>森林の50%以上を借りつくしたなんてのは
>色んな国で昔っからあるw
同じことを言って居ると思うが
森林を伐採しすぎて環境破壊。そして、自然からしっぺ返し。人は賢くなる。アダムスミスは必ずしも正しくない。間違っている場合も多いと。
だが、その地域や自国内の規制だけで終わらないのが21世紀
隣国中国のPM2.5が日本を汚染し、排出するCO2が気候を狂わせ大雪や大雨を降らせる
みんながアダムスミスを否定するところが出発点。個人や地域や国単位でなく
302:名無しさん@3周年
14/03/08 10:57:30.52 kj9v6nqt
>>299
>バイブル化しているのはお前
バイブル化していたのは、小泉-竹中とそれをヨイショしたマスコミ
そして、現在まだ小泉改革の幻想に捕らわれている君だ
303:名無しさん@3周年
14/03/08 13:53:11.10 j9FIIWzW
お前はこっちで公開オナニーやってりゃいいよ
まともな人間は誰も相手しないけどな
スレリンク(seiji板)l50
304:名無しさん@3周年
14/03/08 20:11:15.48 kj9v6nqt
>>303
言いたいことはそれだけか?
なら、逝ってよし
いるんだ
そういうやつ
自分の信じるバイブル=アダムスミスを論破されて
それ以上なにも言えないんだね
305:名無しさん@3周年
14/03/08 23:20:39.22 kj9v6nqt
ほい。これだ
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)
中国環境保護省、大気汚染解消「苦しい持久戦」(2014年3月8日21時30分 読売新聞)
【北京=蒔田一彦】中国環境保護省の呉暁青次官は8日、北京で開会中の全国人民代表大会に合わせて記者会見し、中国各地で深刻化する大気汚染について、
「(スモッグを解消するという)目標の実現は長く苦しい過程であり、我々は持久戦に臨まなければならない」と述べ、長期的な取り組みが必要であると強調した。
会見では、内外メディアから大気汚染に関する質問が相次いだ。経済成長と環境保護のバランスについて呉氏は、「国内総生産に多少の影響を与えるだろうが、我々は必ず(大気汚染対策を)取らなくてはいけない」と述べた。
今年の全人代で大気汚染対策は焦点の一つとなっている。李克強(リークォーチャン)首相は政府活動報告の中で「我々は断固として汚染と闘う」と宣言。小型石炭ボイラーや旧式車の廃棄を進めるなどの具体策を列挙した。
306:名無しさん@3周年
14/03/09 01:15:06.59 M95fii9w
>>301
お前自身が
昔は無かったと明言した、
そこに昔からあった証拠を出されたら話を反らした
お前の理屈って結局全部これだよなw。
アダムスミスの主張を適当に齧って勝手に神と定義して、
都合の悪いことはアダム・スミスという神の信奉者のせいであるというw
じゃあ、どうだったら良いのかと聞くと、
曖昧な事を言って逃げ出す。
これは要するに、具体的に何を問題としているのか定義すらしてない証拠で
あくまでアダム・スミスという一般化した言葉をつかって
具体的な理論や発生する、あるいは発生したメカニズムを記述しないのもそれを象徴している。
中国の開発は政治主導の計画的開発で
お前の言う、見えざる手は機能していなかった訳だがw
都合の悪いことはアダム・スミスがーwと狂ったように連呼して現実を無視する。
再度お前の主張をまとめると、
都合の悪いことはアダム・スミス(自分以外の誰か)のせい、
代替案は一切提示しない。
307:名無しさん@3周年
14/03/09 10:57:40.55 gcRj8wOb
>>306
気付いてないか・・?
”アダムスミスの時代には、人の経済活動が地球全体の気象を乱したり、地球全体を汚染したりということは無かった”>>297
と書いた。キーワード”地球全体の気象”を見落としたね
”wwwありましたけどwww
開発や資源として森林を伐採しすぎて、
森林の50%以上を借りつくしたなんてのは
色んな国で昔っからあるw” >>298
は、あくまで一国の例だろ
で、一国の例なら自分の国で法律作れば良い
だが、問題はアダムスミスをバイブルとする自由主義=市場原理主義をアメリカが中心になって、世界に布教した
その結果、布教は中国に及び、中国の環境破壊がすさまじく、日本にその影響が及ぶようになった
これが21世紀の問題だ
このまま行って、世界の人口が100億人を超えようというとき、アダムスミスを信じて「みんなが勝手をやればそのうち問題は解決するさ」で済む話かどうかまで来ている
要は、人間の活動が地球環境を乱したりしない範囲のときと、地球環境を破壊しつくして戻せないところまで行っていいのかというところまで来た
アダムスミスの「みんなが勝手をやればそのうち問題は解決するさ」を、否定するところから話をしようぜと
308:名無しさん@3周年
14/03/09 11:00:12.62 gcRj8wOb
>>307
訂正
要は、人間の活動が地球環境を乱したりしない範囲のときと、
↓
要は、人間の活動が地球環境を乱したりしない範囲のときとは違い、
309:名無しさん@3周年
14/03/09 21:01:39.79 M95fii9w
>>307
wwwwまーた言い訳w
> >>306
> 気付いてないか・・?
>
> ”アダムスミスの時代には、人の経済活動が地球全体の気象を乱したり、地球全体を汚染したりということは無かった”>>297
> と書いた。キーワード”地球全体の気象”を見落としたね
森林伐採による気象変動は今でもテーマになるぐらい当たり前の現象ですよw
単に降雨量の変化だけでなく、黄砂のようなものは昔からあるしなw
さらに言えば、なぜ気象変動が良くないのかというと、
人間の生活に難が出るからであって、
森林が無くなって水害や土砂災害が多発するのは問題ないなんて間抜けな理屈を展開するつもりなのかとw
>
> ”wwwありましたけどwww
> 開発や資源として森林を伐採しすぎて、
> 森林の50%以上を借りつくしたなんてのは
> 色んな国で昔っからあるw” >>298
> は、あくまで一国の例だろ
いいえw
>
> で、一国の例なら自分の国で法律作れば良い
はぁ?良いわけ無いだろ、日本みたいに他国との境目が海で隔てられている国は稀。
> だが、問題はアダムスミスをバイブルとする自由主義=市場原理主義をアメリカが中心になって、世界に布教した
> その結果、布教は中国に及び、中国の環境破壊がすさまじく、日本にその影響が及ぶようになった
> これが21世紀の問題だ
まーたアダム・スミスを勝手に定義してバイブル化した
>
> このまま行って、世界の人口が100億人を超えようというとき、アダムスミスを信じて「みんなが勝手をやればそのうち問題は解決するさ」で済む話かどうかまで来ている
> 要は、人間の活動が地球環境を乱したりしない範囲のときと、地球環境を破壊しつくして戻せないところまで行っていいのかというところまで来た
> アダムスミスの「みんなが勝手をやればそのうち問題は解決するさ」を、否定するところから話をしようぜと
んで相変わらず、都合の悪いことはアダム・スミスのせいで、具体的な理論も代替案も無し
310:名無しさん@3周年
14/03/09 21:10:42.45 M95fii9w
例えば、日本の公害を見ても、
政治は公害を予防したり、対処するどころか
民間への情報を隠蔽したり、
解決へ乗り出した市民を妨害することで
自体をかなり悪化させてる。
中国も同じだな、
そこに暮らす市民は直接の損害があって
それは嫌だと思っているが
国家の計画という大きな流れには逆らえない。
お前みたいなのに共通するのは
市場の失敗や不整合はギャーギャー喚くが
行政のような政治もかなりの頻度で失敗し、
そのほうが損害が大きくなりがちで
市民のレベルを引き下げる分罪も重いという事を無視する。
311:名無しさん@3周年
14/03/09 22:37:54.98 gcRj8wOb
>>309
地球全体の話と狭い地域の話が区別がついていない
そして、米国が環境規制に反対してきた国だということも理解できていない
なぜ、米国が環境規制に反対してきた国なのか? アダムスミスの自由主義をバイブル化しているからだ。自由至上主義。規制は少ない方が良いと
だが、それが間違っている
アダムスミスは間違っている。アダムスミスの時代は、人がどんな経済活動をしようが地球全体を汚染することはできなかった。もちろん、一地方の木を切ってその地方の環境破壊はあったろう
いま、問題になっていることは、中国の環境汚染が日本に影響を与えるなど、地球規模の話だ
自由至上主義のアダムスミス流資本主義を修正すべき時代なんだよ
312:名無しさん@3周年
14/03/09 22:40:34.12 gcRj8wOb
>>310
>中国も同じだな、
>そこに暮らす市民は直接の損害があって
>それは嫌だと思っているが
>国家の計画という大きな流れには逆らえない。
中国は日本の50年遅れくらいかな
いまの日本はもっと進んでいるよ
日本と中国を同一視するとは、見る目が無いね
313:名無しさん@3周年
14/03/09 23:07:51.68 M95fii9w
>>311
> >>309
> 地球全体の話と狭い地域の話が区別がついていない
ついてるよw
お前は、僕ちゃんの設定と外れるから
一国の森林減少で起こった気流変動は他国へ影響を及ぼさないと言い張ってるが
現実は及ぼすw。
> そして、米国が環境規制に反対してきた国だということも理解できていない
> なぜ、米国が環境規制に反対してきた国なのか? アダムスミスの自由主義をバイブル化しているからだ。自由至上主義。規制は少ない方が良いと
相変わらず勝手な設定w
お前が勝手にアダム・スミスの内容を設定して利用する事自体いい加減にして欲しい訳だが、
そもそも国家つまり、大きな集団のトップが大掛かりな力を持つってのは
アダム・スミスしめす思想とは真逆だわな。
>
> だが、それが間違っている
> アダムスミスは間違っている。アダムスミスの時代は、人がどんな経済活動をしようが地球全体を汚染することはできなかった。もちろん、一地方の木を切ってその地方の環境破壊はあったろう
> いま、問題になっていることは、中国の環境汚染が日本に影響を与えるなど、地球規模の話だ
というふうに
お前の言ってることは、
都合の悪いことは全部アダム・スミス
に過ぎずに、じゃあアダム・スミスって何なの?という定義から逃げてるw
>
> 自由至上主義のアダムスミス流資本主義を修正すべき時代なんだよ
314:名無しさん@3周年
14/03/09 23:16:39.47 M95fii9w
>>312
何がいいたいのやらw
相変わらず都合の悪いことは全部話しを反らすだけだな、
お前の理屈では、市場や個人が幸福追求の為にする行動は常に間違っていて、
それを一部の人間w神様ではなく人間さまが、
権力を独占してコントロールしたほうが幸せであるっていう事になる訳だがww
お前みたいな奴に共通する間違いをもう一つ、
経済学では基本的に独占を否定する事が多く、
それをもって、金持ちは悪~とか金儲けは悪~というが、
政治家や行政なんかに集中することも同じように独占ですからw。
それどころか、基本的に経済は政治に勝てない事を歴史は証明しているわけで、
ただでさえ権力が集中しているモノに
更に経済まで独占させようという素晴らしき選民思想、
で、一体どうやって優秀な人間を区別するんですかねw
315:名無しさん@3周年
14/03/10 08:03:34.72 2omo7tDr
>>313
>ついてるよw
>お前は、僕ちゃんの設定と外れるから
>一国の森林減少で起こった気流変動は他国へ影響を及ぼさないと言い張ってるが
>現実は及ぼすw。
ついてないよ。それに時間軸を無視している
URLリンク(ja.wikipedia.org)
アダム・スミス(Adam Smith、1723年6月5日(洗礼日) - 1790年7月17日)は、スコットランド生まれのイギリス(グレートブリテン王国)の経済学者・神学者・哲学者である。主著は『国富論』
まず、アダムスミスの生きていた1723年6月5日(洗礼日) - 1790年7月17日の中国には、日本にPM2.5を飛ばして汚染する経済活動能力は、なかった。これは明白
だが、中国の一地域の木を切りすぎて、洪水などを引き起こす。それくらいはできたろう
その違いを言っている。補足すれば、21世紀は土木機械・農業機械が発達して、焼き畑にしてもアダムスミスの生きていた1723年6月5日(洗礼日) - 1790年7月17日の時代とは違う
規模が段違いに大きくなっている。極論すれば、やる気になればアマゾン全域を、焼き畑にして農業地にすることも出来なくはない。そういう無秩序な開発が良いのかどうか。21世紀はそういう時代だ。
アダムスミスの生きていた時代とは異なる
そういう視点から、アダムスミスの時代に是とされていた「みんなが勝手に良い(儲かる)と思ったことをやれ。それが全体としても良いことだ」が疑問だと
316:名無しさん@3周年
14/03/10 08:13:18.76 2omo7tDr
>>314
>で、一体どうやって優秀な人間を区別するんですかねw
おれは別に民主主義は否定していないよ
というか、民主主義を肯定している
だからこその、”アダムスミスの「みんなが勝手をやればそのうち問題は解決するさ」を、否定するところから話をしようぜと”>>307いう呼びかけだ
大衆の意識が変われば、政治が変わる。民主主義を前提としているんだよ
317:名無しさん@3周年
14/03/10 21:56:12.64 s53g0yZw
>>315
主張が滅茶苦茶になりすぎなんだがw
お前の究極的な間違いを指摘すると
アダム・スミスはすでにそこにあった人々の活動を
「説明した」だけなのに、
人々の活動が大きく変わったかのような
アホらしい話を必死こいてする意味をおしえてくれw。
318:名無しさん@3周年
14/03/10 21:57:21.48 s53g0yZw
>>316
更に意味が不明wwww
結局
都合の悪いこと=アダム・スミス
で、
アダム・スミスの定義すら滅茶苦茶
説明を要求する度に逃げるか変化する。
せめて自分の理論を
アダム・スミスという名称ではなく
一貫した具体性のある理屈として提示しろよw
319:名無しさん@3周年
14/03/10 21:59:00.57 s53g0yZw
>>316
>大衆の意識が変われば、政治が変わる。民主主義を前提としているんだよ
wwwwwwこれアダム・スミスの主張と何処が違うのw?www
もう意味がわからないっすw
320:名無しさん@3周年
14/03/11 08:42:48.00 /BDLmHUh
>>317
>アダム・スミスはすでにそこにあった人々の活動を
>「説明した」だけなのに、
そうかも知れないが、”アダム・スミス”は一人歩きし出したんだよ
世の中よくある話だ。釈迦、キリスト、モハメッド・・
>人々の活動が大きく変わったかのような
>アホらしい話を必死こいてする意味をおしえてくれw。
”アダム・スミス”は一人歩きし出して宗教になったんだよね
宗教というより、”主義”と言った方が良いかもしれないがね
それを信じる人が増えたんだ。18世紀の説だ
で、時代が変わって21世紀にはその説は合わなくなった。それに気付く必要があるってこと
321:名無しさん@3周年
14/03/11 08:52:07.71 /BDLmHUh
>>319
>>大衆の意識が変われば、政治が変わる。民主主義を前提としているんだよ
>wwwwwwこれアダム・スミスの主張と何処が違うのw?www
>もう意味がわからないっすw
URLリンク(ja.wikipedia.org)
『国富論』、または『諸国民の富』の名でも知られる。特に前者が一般的であるため、以後本項でも前者を用いることとする。本書は産業革命以後における経済学について明確に記述されている。
「見えざる手」
「見えざる手」 (invisible hand) は本書の概念としてしばしば言及されるものである。この「見えざる手」の背後にある思想は、人々がその欲求と窮乏の追求を通して無意識的に自らの国を発展させるであろうという主張である。
影響
国富論は啓蒙思想の時代に出版され、著者および経済学者のみならず政府および団体に影響を与えた。例えば、アレキサンダー・ハミルトンが国富論によって感銘と影響を受けている[要出典]。
本書がデイヴィッド・ヒュームやシャルル・ド・モンテスキュー、そして重農主義者ジャック・テュルゴーといった思想家・経済学者たちによって確立済みであった理論の焼き直しであるといわれていることは、一部においては真実である。
しかしながら、本書は経済学における躍進であり、物理学および現代数学、ならびに自然科学にとっての『プリンキピア』の位置づけと類似するものである[要出典]。
(引用おわり)
この「見えざる手」というのが、21世紀では環境破壊に対する配慮が不足していると
そう思うんだよね
「見えざる手」に環境破壊防止という枠をはめて行こう
そういう主張ですがなにか? そこからスタートして、「見えざる手」という考えが機能するためには、前提が置かれるべきという結論に至る。18世紀の「見えざる手」理論自身を、21世紀に合うよう根本的に見直すべしと
322:名無しさん@3周年
14/03/14 17:16:26.60 qZr4//Jz
>>320
ひとり歩きしたのはお前の頭の中だけw。
なんでもかんでもアダム・スミス
具体的に何のことを指し示すのかは定義せず、
wwwwこういうのを「ひとり歩き」というwwwwwww
323:名無しさん@3周年
14/03/14 17:18:17.14 qZr4//Jz
>>321
> URLリンク(ja.wikipedia.org)
> 『国富論』、または『諸国民の富』の名でも知られる。特に前者が一般的であるため、以後本項でも前者を用いることとする。本書は産業革命以後における経済学について明確に記述されている。
>
> 「見えざる手」
> 「見えざる手」 (invisible hand) は本書の概念としてしばしば言及されるものである。この「見えざる手」の背後にある思想は、人々がその欲求と窮乏の追求を通して無意識的に自らの国を発展させるであろうという主張である。
>
> 影響
>
> 国富論は啓蒙思想の時代に出版され、著者および経済学者のみならず政府および団体に影響を与えた。例えば、アレキサンダー・ハミルトンが国富論によって感銘と影響を受けている[要出典]。
> 本書がデイヴィッド・ヒュームやシャルル・ド・モンテスキュー、そして重農主義者ジャック・テュルゴーといった思想家・経済学者たちによって確立済みであった理論の焼き直しであるといわれていることは、一部においては真実である。
> しかしながら、本書は経済学における躍進であり、物理学および現代数学、ならびに自然科学にとっての『プリンキピア』の位置づけと類似するものである[要出典]。
> (引用おわり)
>
> この「見えざる手」というのが、21世紀では環境破壊に対する配慮が不足していると
> そう思うんだよね
>
> 「見えざる手」に環境破壊防止という枠をはめて行こう
> そういう主張ですがなにか? そこからスタートして、「見えざる手」という考えが機能するためには、前提が置かれるべきという結論に至る。18世紀の「見えざる手」理論自身を、21世紀に合うよう根本的に見直すべしと
wwwwwwwwwwいみふwwwwwwwwww
自分で勝手に
見えざる手は環境破壊だと訳の分からない事を言い出して、
それを防止しよう
お前の頭の中を規制しろよ
324:名無しさん@3周年
14/03/14 17:29:19.84 qZr4//Jz
結局「何を誰がどうやって」規制するのか具体的でないのが示す通り、
アダム・スミスは悪い
見えざる手は悪いっていいたいだけだろw
見えざる手が何かも説明しない、
規制対象とするメタ的な動きも説明しない、
なーんにも説明しない、
引用してきたのは、
アダム・スミスが説明した概念は、
皆に分かりやすく届いたというだけ。
もしかしてだけどさ、
アダム・スミスの著作を一冊も読んでないって事ないよねw
325:名無しさん@3周年
14/03/16 21:03:03.94 bUjik7J4
>>322-324
なんか、粘着してくれるね
ありがとうよ
話は簡単なんだ
1.アダム・スミス 『国富論』 :国富論は1776年に出版されて以降、アダム・スミスの存命中、彼自らの手によって4度の改訂が行われている(1778年、 1784年、1786年、1789年)。よって日本語への翻訳も1789年に出版された第五版を元に行われることが多い。
URLリンク(ja.wikipedia.org) >>321
2.そして、それは後の世に自由主義者達のバイブルとなった(下記)
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
ベストアンサーに選ばれた回答 2011/6/5
これは放送大学の授業の中でも、詳しく解説してましたねえ。その面白さは読んでみるとわかりますよ。
何で物の値段が決まるのか、何で自由経済が、うまく行くのか、このあたりが面白く読み解けます!
のちにミルトン・フリードマン先生などが活躍しますが、彼ら自由主義者達のバイブルが、国富論です!
(つづく)
326:名無しさん@3周年
14/03/16 21:08:37.60 bUjik7J4
>>325
つづき
3.そして、下記に大阪大学 堂目 卓生氏にあるように
”その後、経済学の発展とともに、『国富論』の中で1度だけ使われる言葉、「見えざる手」が、
利己心にもとづいた個人の経済活動を社会全体の利益につなげる市場のはたらきと理解されるようになり、
やがて競争的な市場における価格調整メカニズムを意味するものとして使われるようになった”という。
簡単に言えば「アダム・スミスの”見えざる手”の一人歩き」ってこと
URLリンク(www.iar.nagoya-u.ac.jp)
第5回高等研究院レクチャー 要旨集(PDF)思想史とアダム・スミスーなぜ復活したのかー 2010年6月24日
堂目 卓生 大阪大学大学院経済学研究科教授
スミスと現代 ―経済学の基礎としての人間研究
アダム・スミスは、生涯において、2つの書物、『道徳感情論』と『国富論』を著した。
これらのうち、現代までスミスの名を残すことに貢献したのは、『国富論』であるといえよう。
その後、経済学の発展とともに、『国富論』の中で1度だけ使われる言葉、「見えざる手」が、
利己心にもとづいた個人の経済活動を社会全体の利益につなげる市場のはたらきと理解されるようになり、
やがて競争的な市場における価格調整メカニズムを意味するものとして使われるようになった。
4.だが、一人歩きするアダム・スミスの”見えざる手”というのが、果たして常に正しいのか? そこを21世紀の我々はもう一度問い直す必要があるだろうと
327:名無しさん@3周年
14/03/16 21:49:02.13 bUjik7J4
>>326
つづき
5.さて、冷静に考えてみれば、アダム・スミス 『国富論』 は1776年に出版されたという。200年以上前
6.いま、2014年(21世紀)。ものには賞味期限がある。200年以上前の本の賞味期限やいかに?
7.200年以上前の経済について論じたアダム・スミス 『国富論』 の「見えざる手」が、まだ賞味期限が切れていない?
8.話は逆だ。”まだ賞味期限が切れていない?”と主張するなら、その立証責任はそう主張する側にあるべき。200年以上前の本なのだから
328:名無しさん@3周年
14/03/16 21:52:49.69 bUjik7J4
>>325-327
まとめると
200年以上前の経済について論じたアダム・スミス 『国富論』 の「見えざる手」は、もう賞味期限が切れているんじゃないのかと
議論をそこから始めようぜと
ミルトン・フリードマン先生など、彼ら自由主義者達のバイブルが、国富論ですが>>325 もうすでにちょっとかび臭くなっているんじゃないかと疑問を持とうよ
329:名無しさん@3周年
14/04/06 07:09:03.67 frejWUm+
つづき
>>327
訂正
8.話は逆だ。”まだ賞味期限が切れていない?”と主張するなら、その立証責任はそう主張する側にあるべき。200年以上前の本なのだから
↓
8.話は逆だ。”まだ賞味期限が切れていない”と主張するなら、その立証責任はそう主張する側にあるべき。200年以上前の本なのだから
>>328
> 200年以上前の経済について論じたアダム・スミス 『国富論』 の「見えざる手」は、もう賞味期限が切れているんじゃないのかと
>議論をそこから始めようぜと
思うに、アダム・スミス 『国富論』 の「見えざる手」が、うまく機能する場合が多いが、前提があると思う
(「見えざる手」がうまく機能する前提)
1.地球環境を壊さない:儲け優先で人が勝手なことをする。その結果地球環境を壊してしまってはだめだ
2.「見えざる手」:市場の力で、悪い者は自然に排除され、良い者が残る。この市場原理が上手く働かない場合がある。その場合は規制が必要だ
例えば、ねずみ講 URLリンク(ja.wikipedia.org) マルチ商法 URLリンク(ja.wikipedia.org)
3.それから、不正や不具合が一般消費者にすぐ見抜けない場合(この場合、悪い者は自然に排除されるまでに時間がかかり、悪い者が生き残る)
例えば、PL法 URLリンク(ja.wikipedia.org)
(過失の証明が困難であるために損害賠償を得ることが不可能になる場合があるとの問題意識から、同法で製造者の過失を要件とせず、製造物に欠陥があったことを要件とすることにより、損害賠償責任を追及しやすくした。このことに製造物責任の意義がある。)
4.あと、残留農薬問題 URLリンク(www2.wbs.ne.jp)
(残留農薬があっても、すぐ健康を害することはないレベルで、しかし長年食べると健康を害するとして、しかし一般人がそれに気付くのに十年以上かかるとしたら? はたして市場原理がうまく働くのか?)
330:名無しさん@3周年
14/04/06 07:16:42.87 frejWUm+
>>329
それから、TPP関連で指摘しておくと
自由貿易協定や経済連携協定が、「自由な市場を拡大する」という原理(「見えざる手」がうまく機能することを前提とする)で語られる場合が多い
しかし問題も多い
URLリンク(ja.wikipedia.org)
むしろ国民が望まない方向へ経済的にも政治的にも進む可能性もある。
ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・E・スティグリッツは「自由貿易協定は『自由』な貿易協定ではない。実際の貿易協定の批准書は何百ページとある。そんな協定は『自由』貿易協定ではなく『管理』貿易協定である。
こうした貿易協定は、ある特定の利益団体が恩恵を受けるために発効されるものであり、特定の団体の利益になるように『管理』されているのが普通である。
アメリカであればUSTR(アメリカ合衆国通商代表部)が、産業界の中でも特別なグループの利益、とりわけ政治的に重要なグループの利益を代弁している」「二国間の貿易協定が発展途上国に多大な犠牲を払わせている。
実際に自分が関わったケースでも、二国間の貿易協定で途上国に大変な犠牲を強いることがよくあった」と指摘している[6]。
ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンは、国際貿易に無知な人ほど自由貿易の効力に幻想を抱きがちであると述べており、自由貿易が経済にポジティブに作用するかのような神話がつくられやすい傾向があるが、
貿易を専門とする経済学者はそのような仰々しい見解(grandiose view)を自由貿易に抱いているわけではない。
また、一般論として、輸出増で増えた分の雇用が輸入増での雇用減によって相殺されてしまうため、自由貿易は雇用創出をもたらさないとしている[7]。
331:名無しさん@3周年
14/04/06 07:19:36.39 GQLXevnu
「反日」というバグが多すぎる
332:名無しさん@3周年
14/04/06 07:24:11.44 frejWUm+
>>330
補足
FTAやEPAのモデルとなったEUに懐疑論がある
URLリンク(ja.wikipedia.org)
懐疑論
ヨーロッパの統合が進められる中で、加盟国の主権と欧州連合の権限の優劣関係や、欧州連合の制度の下で享受される恩恵が加盟国間で不平等であるといった批判や疑問を唱える論調も存在する。
政治分野での統合を目的に欧州政治共同体の設置構想が掲げられ、この手前の段階として1952年には欧州防衛共同体の創設に向けた作業が進められていた。しかしフランスにおいて設置条約の批准が国民議会において諮られていたが、国民議会はこれを拒否した。
ノルウェーは1973年と1995年の拡大のさいにそれぞれ欧州連合(欧州諸共同体)加盟条約に調印していたが、それらの条約の批准をめぐって国民投票で是非が問われ、いずれも反対する票が上回り、実際には欧州連合(欧州諸共同体)加盟に至らなかった。
また1992年6月2日、マーストリヒト条約批准にあたってデンマークでは国民投票が実施されたが、僅差で批准反対票が上回り、さらにはイギリスにおいても議会で批准が拒否される事態が起きた。
さらに従来の基本条約を修正するニース条約の批准においても、基本条約を修正するさいに国民投票の実施が憲法で義務付けられているアイルランドにおいて批准が拒否された。
これらについてはいずれもその後の協議で特例を設けるなどの対応がなされ、改めて批准が諮られ可決されてきた。
2004年10月、将来の拡大における受け入れ態勢の整備と肥大化した機構の効率化、さらには政策決定手続きの簡素化を盛り込んだ欧州憲法条約が調印されたが、
同条約では「欧州連合の旗」や「欧州連合の歌」といったものを盛り込み、さながら欧州連合をひとつの国家とするような性格を持っていた。
これに対して加盟国の国民からは自国が欧州連合にとって替えられるという不安から欧州憲法条約を危険視する風潮が起こり、2005年5月にフランスで、翌6月にオランダで行われた同条約の批准の是非を問う国民投票で反対票が賛成票を上回るという結果が出された。
この事態にヨーロッパ統合を進めていた欧州連合の首脳は動揺し、また一部の首脳からは欧州連合のあり方について疑問や批判が出されるようになった。
333:名無しさん@3周年
14/04/12 06:56:35.68 oeo1VDCA
これは実に興味深い記事だ
URLリンク(www.nikkei.com)
習主席が米欧に放った「挑戦状」 編集委員 秋田浩之 (1/2ページ) 2014/4/11 日本経済新聞
抜粋
■「他国の制度はまねしない」
習氏はこの講演の草稿を、何度も推敲(すいこう)したにちがいない。米欧諸国と中国内の双方に対し、重要なメッセージを送ろうとしていたからだ。
「1911年の辛亥革命以来、中国は多党制、総統制などを試してきた」。習氏は中国の政治制度についてこう語り、清朝が倒れてから、試行錯誤が続いてきたことを強調した。
そのうえで最後に残ったのが社会主義だとして、「他国の制度はまねしない」と断言したのである。
「(他国の制度は)中国に合わないだけでなく、ひょっとしたら、壊滅的な結果を中国にもたらすかもしれない」。集まった聴衆を前に、彼はこうも警告した。
共産党支配の正統性を訴えるための、プロパガンダとも受け止められる。だが、欧州歴訪の最後に、このような演説をぶったのはなぜか。そこには習氏の計算があるにちがいない。
つまり、中国は国力で米欧を追い抜くだけでなく、政治システムについても、米欧型に対抗するモデルを築けると思い始めている、というわけだ。
■大国の自負と危機感
筆者が北京に駐在していた1990年代半ばの中国はさすがにそこまでの自信は抱いていなかった。「米欧型の民主主義を取り入れるのは、まだ早い」。共産党幹部からはよく、こんな発言が聞かれた。
米欧型モデルを全面否定するわけではないが、「発展途上にある中国には時期尚早」という趣旨だったように思う。
それから、約20年。中国は国内総生産(GDP)で日本を抜き、米国と影響力を張り合うまでになった。
習氏の発言からうかがえるのは、大国としての強烈な自負である。だが、それは同時に、共産党が生き残るには米欧型に頼らず、独自の統治システムを打ち立てなければならないという、危機感の裏返しともいえるだろう。
334:名無しさん@3周年
14/04/12 06:58:51.89 oeo1VDCA
>>331
「反日」というバグは、資本主義のバグではなく
中国と朝鮮のもの
それもバグではなく、プログラムそのものだよ
335:j
14/04/12 07:11:06.35 OAtGjcnz
佐藤理樹(開智高校、慶応大学(慶應義塾大学))は反社会性人格障害を持つ障害者。だからこいつは窃盗や傷害を繰り返している。こいつには近づかないほうが良い。
336:名無しさん@3周年
14/04/12 08:05:11.45 oeo1VDCA
2014年のいま
日本の存続にとって最大の脅威は中国共産党の存在だ
中国の民主化を支持して共産党の存在を弱めることが必要だ
その途中段階で、日本に謀略を仕掛けてくる可能性大
それにも警戒が必要だろう(参考>>2)
337:名無しさん@3周年
14/04/12 08:06:08.62 oeo1VDCA
>>335
まるち乙
338:名無しさん@3周年
14/04/19 06:48:50.17 uYcSX50n
いま中国は不思議な国
経済は、市場経済を取り入れて、資本主義に近くなった
が、政治は共産党独裁
共産党独裁を支えるのが軍
選挙はない。だから、政権を支えるのは軍の力しかない。民意ではない
民衆に不満がたまる。それを軍と警察が力で押さえる。そうして共産党独裁が支えられる
だから、共産党独裁を支えるためには、共産党は軍にアメを与える必要がある
一方、軍はそのアメ(軍の特権)を正当化するために、「軍が必要だ」ということを示す必要がある
それが、海洋進出であり、尖閣だ。ここに軍の存在意義を求めている
それを壊すには、中国の民主化が一番だ
URLリンク(jbpress.ismedia.jp)
中国が尖閣諸島を絶対にあきらめない理由海洋進出の目標と狙い、その背景にあるもの 2013.10.02(水) 矢野 義昭
339:名無しさん@3周年
14/04/19 09:24:14.16 uYcSX50n
偽ベートーベン事件と資本主義
ここに市場原理の一つの限界を見て取ることができる
偽ベートーベン事件と資本主義
ここに市場原理:新垣隆氏がだまっていれば、分からないこと。市場は万能ではない。大メディアがヨイショしたことがそれ即ち市場での真理
市場原理とはその程度のもの
神の手とはおごがましい。メディアの欲望の手でしかない
URLリンク(jbpress.ismedia.jp)
偽ベートーベン事件、罪深い大メディアと業界の悪習慣あまりに気の毒な当代一流の音楽家・新垣隆氏(3) 2014.02.18 伊東乾
抜粋
2月11日のこと、「偽ベートーベン事件」が発生して以降、初めて朗報と言えるものを目にしました。
桐朋学園大学で新垣隆君に指導を受けた学生が主体となってネットで署名が集められ、それに動かされて、新垣君自身が願い出ていた非常勤講師の辞職願いを大学側が白紙撤回したというものです。
2月11日の時点で7700人あまり、そのあとすぐに署名は8000人を超え、本原稿の執筆時(2月17日)には1万7726人に及ぶ人々が新垣隆君の地位保全を求めて大学に働きかけています。
こうした事例は日本の音楽史上、かつてありませんでした。インターネットの普及があってこそ、とも思います。が、そこに表れる、新垣君の音楽家としての確固たる実力と、素晴らしい人格を、広く社会に誤解なく受け取ってほしいのです。
この署名は私のところにも送られてきました。このリンクです。
いま現在でも署名することはできます。 私も1票分ですが、名を連ねさせてもらいました。大学側の合理的な判断に心から感謝と敬意を表したいと思います。
実際、新垣君は今回、自ら記者会見を開き、事態を明らかにするとともに、潔く責任を取る覚悟を決めました。が、彼自身、民事・刑事を問わず何らかの責任を司直に問われているわけではありません。
もっと言えば、彼が実行した程度のことで大学の職を去らねばならないとしたら、現在各地の音楽大学で作曲の教授職、あるいは学部長経験者なども含め、非常に多くの人が大学を去らねばならなくなる音楽業界の現実があります。
さらに、こうしたクリエーター側の去就に注目が集まり、本来より問題の根が深い、NHKを含む公共媒体、マスメディアが加担した今回の問題の、本当の病根が見えなくなることを、大いに懸念しています。
340:韓国アボ痔
14/04/19 09:45:41.99 EztisYrY
能無し野老共が、屁理屈言わず。
資本主義修正論議でも言ってみろ、
能あるものは知恵を出せ
体の強いものは汗と力を出せ
何も出ないクソは黙ってされ
341:名無しさん@3周年
14/04/19 11:28:55.45 uYcSX50n
中国軍が、自己の存在をアピールするために、尖閣や東シナ海で危機をあおる
それにアメを与える中国共産党支配者たち。自分たちの特権支配者階級を維持するため
この構造を壊す必要がある
中国の民主化を支援しよう!
342:名無しさん@3周年
14/04/19 11:31:42.19 uYcSX50n
>>340
おっちゃん、乙
いまや世界は、資本主義だの修正だのじゃなく、クリミヤからウクライナ
資本主義の中での争い
343:名無しさん@3周年
14/04/20 22:49:43.21 ko2u9pvB
これぞ、まさに市場が万能でない例
一般人は、市場で韓国の旅客船のずさん、不安全を見抜くことはできない
市場原理なら、不安全な手抜き会社がコスト優位で、安全にコストを掛けた会社が淘汰される
そう、いずれ不安全な手抜き会社は淘汰される、尊い犠牲者を出した後に
法律を作らなければならない
船会社が安全を守るように規制しなければならない。市場任せはだめだ
URLリンク(www.nikkansports.com)
韓国旅客船事故の死者50人に [2014年4月20日13時15分]
韓国南西部、珍島沖の旅客船沈没事故で、韓国海洋警察などは事故発生から5日目の20日、船内や海上から14人の遺体を新たに収容、死者は50人、行方不明者は252人となった。
344:名無しさん@3周年
14/04/26 11:26:55.35 8pW34bdn
市場原理、自由競争万能ではない
そういう例は、身の回りに沢山ある
消費者が、すぐその良否を見分けることができない商品
例
残留農薬産物:健康被害が分かるには長期間かかる
欠陥自動車:事故被害が欠陥原因と分かるには長期間かかる
などなど
こういう分野はある程度の規制必要だ
345:名無しさん@3周年
14/05/05 23:06:56.63 jbp6r6yg
age
346:名無しさん@3周年
14/05/06 15:32:13.95 +n2oGbvl
能力主義の限界
URLリンク(www.php.co.jp)
町工場こそ日本の宝 他人のやらないことをやるから儲かる! 2005
著者 岡野雅行著 《(岡野)岡野工業代表社員、(橋本)政策研究大学院大学教授》橋本久義著
「ものづくりにおいて能力主義は『麻薬』と同じ」「『まごころ』の日本VS『厳罰主義』の中国」
URLリンク(blog.livedoor.jp)
日本と中国の労働意識の違い・・・応合性の日本 2014年03月23日
『町工場こそ日本の宝』(著:岡野雅行、橋本久義 2005年PHP出版)より引用
製造業というのは、やっぱりお互いに「生かされている」というところがある。とくに中小企業というのは、周りのみんなにサポートしてもらわないとやっていけない。
大企業であれば、まだ自分たちのスタッフでやっていける部分も多い。ところが中小企業も場合には、周りのスタッフに支えてもらわないと、つまり自分が直接給料を払っていない人に支えてもらわないとやっていけない。
URLリンク(blog.livedoor.jp)
日本と中国の労働意識の違い・・・信賞必罰で組織を維持する中国 2014年03月25日
引き続き『町工場こそ日本の宝』
(著:岡野雅行、橋本久義 2005年PHP出版)より引用
「足跡立ち罰ゲーム」というようなものもある。朝礼をやるときに、その場所に足跡のマークがついていて、その上に前の週でいちばん成績が悪かったやつを立たせて反省の言葉を述べさせるのである。
三回連続でその足跡に立つようなことがあったらクビである。すごいのは、みんなががんばって、前の週ダメだった人が一人もいなくても、とにかく最下位の一人を探してそれをやることである。
この発想は、1社に独特なものではない。中国では本当にごく一般的らしいのである。私の知っている別の会社で聞けば、定時定量、二割淘汰制だという。つまり1年間で成績の悪かった二割の人は全部クビ。
このようなことが普通に行なわれている中国だからこそ、成果主義ということも通用する。ダメならばそいつをクビにしてしまえばいいのだから、そこは能力主義が成り立つのである。
(日本では成り立たない)
347:名無しさん@3周年
14/05/06 15:42:31.35 +n2oGbvl
つづき
URLリンク(iss.ndl.go.jp)
特別レポート 能力主義よ ちょっと待て--一人でする仕事・みんなでする仕事 橋本 久義 2003-07
URLリンク(ameblo.jp)
町工場の底力 橋本久義 2013-08-03
みんながどんどん再生産をして、企業の屋台骨を支える中核技術者を大量に育てていくのだ。
このシステムは、他国には見られない。
URLリンク(ameblo.jp)
力の評価の難しさ 2010-07-09
橋本 >民間では、職場に能力主義が導入されてしまったから、みんな失敗を恐れる。失敗を恐れると、無理と思えるような高い目標は最初から置かない。
絶対できそうな、あるいはもうすでにできたことを、「これから開発する目標」として設定するという小ズルいやり方になってきている。
能力主義をやると、その瞬間はすごくよくなるのかもしれない。ところが人間というのはダメな人ほど能力があると思い、声高に主張する。
もともと能力のある人は主張しなくたってみんなが評価すると思っているから、そんなに自分の能力を主張しないものなのだ。
日本で能力主義が難しいのは、そもそも人間の能力を評価すること自体非常に難しい上にダメな人間に対し、『お前は能力がないから」といえないからだ。
西欧諸国で能力主義でやっていけるのは能力のない人間をクビにすることが出来るから、『お前は能力がないから」と、面と向かっていえるからである。
『町工場こそ日本の宝』 橋本久義・岡野雅行 PHP P42~43
348:名無しさん@3周年
14/05/06 16:03:09.35 +n2oGbvl
つづき
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
2005-11-06 (日) 曇→雨 日曜日
■ 町工場
この本の帯に曰く。
「レベルの落ちた」大企業にモノ申す
「雑貨」がつくれなければハイテクはつくれない
日本の協力会社こそ「神の見えざる手」だ
ものづくりにおいて、能力主義は「麻薬」と同じ
「まごころ」の日本 VS 「厳罰主義」の中国
「技」はこうして磨け
町工場こそ日本の宝
作者: 岡野雅行,橋本久義
出版社/メーカー: PHP研究所
発売日: 2005/07/16
URLリンク(endokigata.blog.ocn.ne.jp)
2012/04/22
久々に良いものを見つけてしまった???
中小企業の底力:「技術と義理人情」が日本を支える/橋本久義(政策研究大学院大学教授)
◆義理人情が会社を再生させる◆
日本の中小企業は、人のために役立ちたいという気持ちが強い。むろん採算をとろうとはするのだが、ある時点からは採算すら無視する。
職人の心意気の世界である。
2011年の就職率は、高卒も大卒も最悪だという発表があった。たしかに、景気は回復しても雇用は増えないという状況があるのも事実だ。
能力主義とか、同一労働同一貸金というような方向を打ち出せばこういう結果になるのは目に見えていた。いまさら何をいっているんだと思う。
日本型の雇用システムには優れた点が数限りなくあるのだ。
しかし、そういう前提はあるとしても、就職率の数字が上がらないのは、学生たちの大企業志向が招いているという面が多分にある。
日本には、紹介した企業のように、経営者が命を懸け、技術者が寝食を忘れるほどに没頭し、得意先のためなら時間と利益を度外視してでも尽くすというところがゴマンとある。
それが本当の日本的経営というものではないだろうか。私はそう思う。
349:名無しさん@3周年
14/05/31 20:53:13.10 a7itfsEv
age
350:名無しさん@3周年
14/05/31 21:21:23.01 a7itfsEv
ちょっと古いが、内容は古くなっていない
URLリンク(mitsui.mgssi.com)
寺島実郎の発言 連載「脳力のレッスン」世界 2009年10月号
(抜粋)
麻生首相までが、衆議院解散を前にした自民党の両院議員懇談会において、「市場原理主義への訣別」に言及した。
麻生政権が踏み込んだ市場原理主義からの訣別宣言の意味は重い。
政治潮流の根底に、「西側陣営のチャンピオンとして冷戦の勝利者となったアメリカ」「アメリカの一極支配、ドルの一極支配」という認識が埋め込まれ、
米国流資本主義の世界化を「グローバリゼーション」と受け止めて、「日本をアメリカのように競争主義、市場主義が徹底した国に変えていくことの必要性」が「改革」として叫ばれるようになっていった。
小泉政権とは、そうした潮流の到達点であり、米国流市場主義礼賛の徒花のごとき存在であった。
二〇〇一年の対日要望「規制改革および競争政策イニシャティブ」となって一段と強烈に突きつけられ、
駆り立てられるように「市場主義の徹底」にのめりこみ始めた日本の行き着いた先が「小泉構造改革」なのであった。
そうした潮流の恩恵を受けた人たちが「改革派」として胸を張り、二〇〇五年九月の郵政選挙において、候補者ホリエモンの手を高々と上げる竹中平蔵大臣という姿こそ、あの時代を象徴するものであった。
「サブプライムなる挫折」を経て、米国自身が「チェンジ」と叫び、パラダイム転換を図り始めた。
「新・自由主義」といわれた自由市場の価値を重視する資本主義の総本山ともいえる米国自身が宗旨変えをしてしまったようなものである。
オバマ大統領を選び出し、金融セクター安定化のための政府支援のみならず、金融規制の強化、自動車大手GMへの六割救済出資など、政府による経済介入を強めている。
市場主義・競争主義の行き過ぎがもたらす災禍への反省と路線転換は、今や世界的潮流とさえいえる。
資本主義社会を利益願望だけが渦巻く殺伐たるゲームにしないためには、この社会を支える当事者が経済的利益を超えた「人間社会の価値」について理念と哲学を持たねばならないということである。流行や借り物ではない価値を。
351:名無しさん@3周年
14/06/01 11:42:55.81 F5uQ4JzI
ほい
URLリンク(blogos.com)
うさみのりや 元・経済産業省官僚 2014年05月21日 23:06
厚生労働省は解体するしか無いと思う
霞ヶ関にいた時に感じたのですが、厚生労働省というのは、医療、年金、介護という巨大な官製経済の世界を持ち、また労働監督を通して世知辛い世間に弾かれた人々を日々見つめる立場ですので、
パターナリズムというか温情主義というかそういった文化が非常に強い省庁であるように思えます。
これからインフレ2%が続くだとか、実質GDP2%成長を続けて税収も増えていくだとか、150兆円規模の基金を年利4.2%で回すだとか、正社員で雇用を安定させて70歳まで定年をのばすだとか、
そういった先行きに対する無茶な政策コミットが次々と結ばれてその都度修正されていく姿は、ピノキオもいいところなのではないかと思っている次第です。
ウソをついては修正し続けている本人達もきっと苦しいと思いますよ。
彼らだってそれが言いたくていっているわけじゃなくて、こういう制度を作ってしまった先人の政治家・官僚・ひいては国民の妄想に付き合っているだけなんですから。
鈴木亘先生なぞが度々指摘していることですが、残念ながらもはや現在の形での日本の社会保障制度は破綻しているといっても過言ではありません。
厚労省の先には破滅的な結末しか待っていないような気がします。
そんなわけで将来に対するコミットをなるべく軽くして、現在の解決可能な現実的な問題に焦点を当てられるように、厚生労働省は解体すべきなのではないかと個人的には思っています。
そもそも将来の人生設計というのはパターナリズムで政府が面倒見るのではなく、個人の責任で立てるというのが本来の資本主義社会の在り方なのではないでしょうか。
もちろん政府年金制度がいらないという気は毛頭ないのですが、それだけで老後の生活が成り立つようなあやまった社会幻想は取っ払う必要があるように思えます。
352:名無しさん@3周年
14/06/07 09:05:54.74 2Vm8hGV0
ほい
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
アジア通貨危機/白人資本主義バブルのハキダメ 2013/9/29
(抜粋)
2001年のノーベル賞経済学賞を受賞したジョゼフ・スティグリッツは、1997年に世界銀行でチーフ・エコノミスト兼上級副総裁としての勤務を始める前夜、記者会見でこう抱負を述べた。
「経済学者としての現在の最大の挑戦は、拡大している現代の貧困の問題に取り組むことだと思っている。
世界銀行でこの問題に取り組んでいくうちに、彼は驚くべき発見をする。
まさか発展途上国の直面している主要な障害が、(ワシントンの世界銀行の)通りの向かい側に本拠をかまえる姉妹機関のIMFにあるとは当時、思ってもいなかった。
世界の貧困と戦うためには、それを作り出しているIMFと戦わねばならない、そう考えてスティグリッツがまとめたのが、「世界を不幸にするグローバリズム」である。
■IMFの口出し
IMFの融資条件が本当に危機脱出のために有効ならこういう口出しも許されようが、スティグリッツはその内容が誤っており、危機を逆に拡大してしまった、と言う。
■ついに暴動発生
IMFはまた金融機関の体質を問題にして、自己資本比率(使用総資本に対する自己資本の割合)の基準を直ちに満たすか、それが出来ない銀行は閉鎖するよう要求した。
経済が下降している中で新しい資本を集めるのは難しいので、新たな融資を断ったり、貸付先企業に返済を迫った。
その結果、ますます多くの企業が倒産し、銀行側も不良債権が増えて、体質はますます悪化した。
スティグリッツの「どんな悲劇が起こるか分からない」という警告は、98年5月のインドネシアでの暴動となって現実化した。
数万人が暴動に加わり、多数の商店、銀行が略奪・放火され、約30カ所で火の手が上がった。
■IMFの言うことを聞かなかったマレーシア
IMFの言うがままとなって、壊滅的な打撃を受けたインドネシアとは対照的に、隣国マレーシアのマハティール首相はまったく独自の行動をとった。
規制によって投機資本の攻撃から通貨を守りつつ金利は低く抑えたので、企業の倒産も少なく、IMFの処方箋にしたがったタイやインドネシアなどよりも下降は浅く、回復は早かった。
353:名無しさん@3周年
14/06/08 02:05:20.84 zI3oOOW2
インターナショナルは天安門事件の時に歌われました。 中国共産党への抗議への意味を込めて。
しかし、中国共産党の圧政は今だに続いています。 少数民族のチベット人への弾圧も今だに続いています。
この曲を歌いながら中国共産党の圧政に抗議しましょう! フリーチベット!(チベットに自由を!) そして フリーチャイナ! (中国に自由を!)
起て飢えたる者よ
URLリンク(www.youtube.com)
354:名無しさん@3周年
14/06/08 06:01:39.77 YVlkdNPR
ほい
URLリンク(kiheitai.soc.or.jp)
1999/03/20 支配の構造 - アメリカ(1)
(抜粋)
[アメリカ合衆国の支配の実態]
この国には建国以来、政治的な建前として「自由と民主主義」というイデオロギーがあり、この建前が多民族か
つ多宗教(宗派)からなる複雑な国家構造の枠組みを強く支えてきたのである。このイデオロギーは
また資本主義の発展の強力な推進力ともなったのである。現在、日本はこのアメリカの属国であり、
アメリカの支配下におかれていると言っても過言ではない。われわれ日本人は日本のこれからのあ
るべき姿を模索していく際にアメリカという国家の支配構造を明確に把握しておく必要がある。
現代のアメリカはWASPと呼ばれる人々が国家を支配しているのではなく、WASPを含めたある一群
の人々がアメリカという国家を巧妙に支配しているのである。このことはあとで詳しく論じることにする。
現在、アメリカでは約2億6500万人の国民が生活している。このうち数十万人のアメリカインディアンの子孫
を除いては、すべて外部から流入した移民の子孫達である。彼らは徹底した民族教育を受け、アメリカ式ルー
ルのもとで「世界で最も豊かな国の国民」という誇りと自負をもって生活しているのである。しかしその実態は
表向きの繁栄とは異なり、社会階層の上位1%の人間が全国民の総資産の60%を所有する極端に不平等
な階層社会となっている。そしてかって存在した古き良きアメリカを代表する健全で陽気なアメリカの中産階級
は1970年代を境に没落の一途をたどり、今やどこにもその姿を見ることができなくなった。アメリカ建国当初、
WASPの祖先が理想とした自由と平等と博愛を実現するアメリカの姿はもはやそこにはなく、それに代わって
1%の超富裕階級が残りのすべて国民を収奪し支配する寄生国家アメリカの姿がそこにはある。われわれ
日本人には想像もつかないことだが、今のアメリカでは200万人の億万長者が豊かさの極致を謳歌している
反面、2000万人を越える明日の食事にもありつけない極貧の生活を送るアメリカ国民が存在するのである。
355:名無しさん@3周年
14/06/08 17:12:58.26 YVlkdNPR
>>353
どもです
応援したいね
天安門事件への抗議
356:名無しさん@3周年
14/06/15 10:42:12.41 QLpO6PAG
>>354 続き
URLリンク(kiheitai.soc.or.jp)
1999/03/28 支配の構造-アメリカ(2)
資本主義の発展をうながした「予定説」について簡単に説明しておこう。
聖書の「予定説」によれば、「人はこの世に生まれてくる以前から神によって運命が定められており、個々人の救済もあらかじめ決まっている。さらにこの世で
人がいかに熱心に信仰しようがすまいが神による救済の決定は絶対に変えることはできない。」というものであった。
カルビンはこの「予定説」に対して次のような解釈をくだすことでピンチを最大のチャンスに変えたのである。
すなわち人は自分が神に救済される人間かどうかを知る唯一の方法がある。そのためには人はこの世で
禁欲と勤労の生活を送り、懸命に働いて富(金)を手に入れ、その富を享楽に使わず再生産のために投資
を行い、さらに勤労に励まなければならない。このような禁欲と勤労の生活を生涯にわたって繰り返すこと
によって富が蓄積されていくならば、それが神がその人間を救済することを認めた証拠であるとしたのである。
この考えは非常に分かりやすく、何よりも個人が豊かになる富の追求と宗教的救済がワンセットになっていた
ため庶民の間に爆発的に広まっていったのである。
こうしてイギリスではプロテスタンティズムが国家の公認宗教と
なったため、熱烈な宗教心と富の追求が一体化して資本主義が本格的に胎動し発展していったのである。
先に述べた通りWASPの先祖はこの清教徒(ピューリタン)の一派であった。アメリカのプロテスタントは元来、
アメリカ東部のニューイングランドに住み着いたピューリタンの集団だったのである。彼らは当初、選民意識
が強く、救済の確信のもとに自らの信仰を守ることに情熱を注ぐ独善的で閉鎖的な宗教集団であった。彼ら
は布教を行わず、ピューリタンだけで構成される聖書による共和国をめざしていたのである。
アメリカは独立戦争に勝利した後、必然的にプロテスタントの富を求める経済活動から国土を南部、中部、
西部へと拡大していった。こうして東部に根づいていたプロテスタントはアメリカ全土に散らばっていったの
である。
357:名無しさん@3周年
14/06/15 10:46:58.50 QLpO6PAG
>>356 続き
URLリンク(kiheitai.soc.or.jp)
1999/03/28 支配の構造-アメリカ(2)
(続き)
アメリカはプロテスタントに加え、カトリック教徒、ユダヤ教徒、キリスト教の新興宗教など、さながらキリスト教的
一神教のメッカとなっている国家である。そしてこれらの多数の宗派と様々な人種や民族の形成する社会階層
が呼応して、アメリカは民族と宗教と階層を三つの軸とする三次元的な座標空間のモデルとしてとらえることが
できるのである。アメリカ国民とはその座標空間の座標の数だけタイプがあると考えられるのである。しかしこの
国には南北戦争以後、多数の移民と宗教の流入にも関わらず国家を分断するような大規模な内乱は一度も起
こっていない。それは先に述べた通り、表向き「自由と民主主義」という政治理念と「資本主義」という経済原則
が国民に夢と実利あたえてきたからである。アメリカは壮大な人類の実験国家であった。無尽蔵の天然資源の
眠る広大な国土の中に、それぞれの母国で食い詰めた様々な民族からなる無数のハングリーな貧者を投入し、
「自由と民主主義」と「資本主義」という二つの理念を与え、そのルールのもとで自由に競争をさせた時にいった
い何が起こるかを実験したのがアメリカという国家であった。その結果、人類は人種、民族、宗教が如何に異な
っていようとも「自由と民主主義」という精神的栄養が満たされ、かつ「資本主義」の産み出す経済的栄養にも満
されるならば、一つの国家の中で十分に共存していくことができることを証明したのであった。
358:名無しさん@3周年
14/06/15 11:17:24.53 QLpO6PAG
>>356 続き
URLリンク(kiheitai.soc.or.jp)
2001/04/30 私における小室直樹(抜粋)
私には小室に対して大きな疑問を抱いていることがある。彼には国際金融財閥を正面から扱った著作がただの一部もないことだ。
彼は本気で経済現象が人間を超えた経済法則によって動くものと確信しているのだろうか。
そう考えているとするなら小室は本当の「学者馬鹿」と言うほかはないだろう。
経済とは人間の欲で動いているものである。それも巨大な金を動かせる人間の欲によってである。
経済法則などというものはその結果を統計処理しマクロ的に解釈して法則化したものに過ぎないのだ。
ここに一冊の本がある。1988年に青春出版から出版された「経済裏陰謀の常識」という本だ。
この本はイルミナティの経済裏陰謀を日本で初めて紹介した衝撃的な内容の本だ。
この本には1989年に日本経済の破局があると予言されているが、それはみごとに的中している。
著者は馬野周二(うまのしゅうじ)氏。日本における陰謀論の草分け的存在である。
馬野氏は通産省の技官を勤めたあと戦後まもなく米国に渡り化学技術者として長く活躍したのちニューヨーク工科大学の教授を勤めた人だ。
この著書の推薦者の一人として小室直樹が名前を連ねている。
「1989年に経済破局がくる。フリーメイソンなどイルミナティの手先に過ぎない。
イルミナティはアメリカ東部のエスタブリシュメントを巻き込み、虎視耽々と日本の喉笛をねらっている。
大恐慌を起こしそのどさくさにまぎれて日本経済を征服しようというのだ。
この大陰謀にくらべればオイルショックの円高不況でさえも児戯に類する。
アメリカ研究の泰斗馬野氏渾身の力作。馬野経済史観による日本経済の将来を予測するの書。」とある。
この推薦文から分かる通り小室は国際金融財閥の実態を熟知しているのである。
四年間のアメリカ留学生活であったが彼はアメリカに巣食う強大な権力の実態を正確に把握していたのである。
渡米前、友人に必ずノーベル賞を獲って帰って来ると豪語した小室が数年後「もうアメリカから何も学ぶものはない」と言って静かに帰国した背景には
ノーベル賞が国際金融財閥に奉仕した人間にだけ与えられるご褒美に過ぎないことを喝破していたからに他ならない。
359:名無しさん@3周年
14/06/15 11:37:11.01 QLpO6PAG
>>356 続き
URLリンク(www.nishiokanji.jp)
2012/8/16 木曜日
百年続いたアメリカ独自の世界システム支配の正体(三)
(抜粋)
モノづくりで勝てないアメリカは金融資本主義の道をひた走って、
今度は何とか新たに脱資源的システム支配を目指し、EUもまきこんで過去十三年間の短い期間で何と100兆ドル、1ドル100円とすれば1京円、
しかもレバレッジをかけて倍増させ200兆ドル、2京円の根拠なきカネを空(くう)につくり出した。
七十年前にアメリカ通の山本五十六司令長官にも見えなかったアメリカの暴走が、歳月を経てまたまた急転回している。
今度もまたしてもアメリカと西欧諸国との間では歩み方に微妙な違いがある。
イラク戦争はユーロとドルの通貨戦争の趣きがあった。イラクの石油の直接支配は必ずしもアメリカの戦略の中になかった。
アメリカの中東石油依存度は10パーセントぐらいで、決定的な大きさではない。
中東の石油売買がユーロ建てになって、基軸通貨としてのドル支配が壊れるのは破局だという危機感がアメリカにはあった。
これがイラク戦争の原因である。
ユーロからドルを守るために、戦争を起こしながら、世界を間接支配しようとするアメリカ一流の戦略であったと考えられる。
360:名無しさん@3周年
14/06/15 11:46:09.35 QLpO6PAG
>>356 続き
URLリンク(ja.wikipedia.org)
一極体制以降の国際情勢
社会主義国が軒並み没落したことで資本主義の勝利が叫ばれ、「新自由主義」とも呼ばれるアメリカ型の無規制な資本主義が世界を席巻するようになった。
それまで親米的であることによって経済的繁栄を享受してきた国々は、冷戦構造下のイデオロギー対立が消滅することによって、かえって経済的危機に陥ることとなった。
例として、日本では「失われた10年」(2010年現在では「失われた20年」)と呼ばれる停滞期に突入し、韓国やインドネシアなどでは「アジア通貨危機」とそれに伴う失業率の激増に陥った。
冷戦時代の西側諸国の多くは、アメリカ型の自由放任型資本主義体制ではなく、ケインズ主義やコーポラティズムとも呼ばれる協調的・混合経済的な資本主義体制であった点に注意すべきである。
2010年代以降の動向
アメリカ合衆国による一極支配が、終わりを迎えつつあることが2010年代に入って以降指摘されはじめている[2]。
一方、シェールガス革命や民主主義に代わる価値観の不在などを理由に、アメリカはこれからも世界をリードする超大国であり続けるという意見もある[3]。
ただ、シェールガス革命はアメリカの救世主とはなりえないという意見もある[4]。
それまで活発だったネオコンの退潮は事実であり、アメリカの外交政策も2010年代に入ってブッシュ時代から大きく変化していることは確かである。
アメリカの2015年会計年度国防予算は、緊縮財政と国内の厭戦気運を反映し、大幅に予算が削減され、部隊も削減されることとなった。
日本では産経新聞など親米保守メディアを中心にオバマ政権をかねてから「内向き」などと批判しているが、今までのアメリカのやりたい放題がようやく終わり、新しい世界体制がやってくる第一歩という逆の見方もある[5]。
361:名無しさん@3周年
14/06/22 21:17:42.44 GpgAe+jv
>>347 関連
URLリンク(www.nikkei.com)
成果主義に落とし穴 ドラッカーが認める評価法は ドラッカーに学ぶココロの処方箋(9)(1/3ページ) 2014/6/22 日本経済新聞
(抜粋)
日本での成果主義は失敗したと言われて久しい。
成果主義とメンタルヘルスの関係を研究した天笠崇医師は、成果主義の導入が従業員のメンタルヘルスに悪影響を及ぼしたことを指摘している。
その原因は、勤務の長時間化、評価への不満、短期的成果への要求増大、協力関係の希薄化、ハラスメントの増長などが挙げられる。
その後、制度を見直している会社も多いが、それでもなお社員のモチベーションやメンタルヘルスの向上につながらないケースが多いのはなぜだろうか。
今回もドラッカーの名言を参照しながら、事例を基に考えてみよう。
■定量化するほど他の要素を見落とす
目標管理はドラッカーが提唱したとされているが、誤解もある。
ドラッカーが提唱したのは「Management by Objectives and Self-Control」、つまり「自分自身による」目標管理。
現在多くの組織で用いられているのは「上司による部下の」目標管理であり、識者のなかにはドラッカーの意図が正しく反映されていないとする意見も多いようだ。
他者による目標管理においては、その成果を定量化しなければならない。
ドラッカーは、こんな言葉を残している。「社会的事象の中で真に重要なことは定量化になじまない」(『ドラッカー 365の金言』)。
ドラッカーは管理するために定量化を行うほど見えないものを見落とす危険性があると警告している。
「測定と定量化に成功するほど、それら定量化したものに注目してしまう。
したがって、よく管理されていると見えれば見えるほど、それだけ管理していない危険がある」(『マネジメント エッセンシャル版』)。
評価項目や基準が変われば、従来の評価から上がったり下がったりする人が出てくる。
一方で、周囲から「この人がいてくれて助かっている」と認められていても、「その能力や成果を測定できない」という理由でいつまでも評価されないケースもある。
362:名無しさん@3周年
14/06/22 21:24:00.01 GpgAe+jv
>>361 関連
URLリンク(www.nikkei.com)
成果主義に落とし穴 ドラッカーが認める評価法は ドラッカーに学ぶココロの処方箋(9)(2/3ページ) 2014/6/22 日本経済新聞
(抜粋)
■数値以外の感覚を共有する場を作る
ドラッカーは、評価することの難しさを次のように表現している。
「測定という行為は、客観的でも、中立的でもなく、主観的な行為であり、何がしかの偏りを持たざるをえない。
(中略)測定の対象は、新たな意味と新たな価値を賦与される」(『マネジメント エッセンシャル版』)。
つまり、評価する側の主観を排することは難しく、評価項目を選定した時点でその意味や重要度が変化してしまうということだ。
組織が成果を上げるうえで必要な事象を、すべて定量化可能な評価項目に織り込むことは不可能なだけではなく、
評価者の主観による偏りも生む。制度としての目標管理はそうした矛盾をはらむことを前提として、上司と部下は正しく評価し、評価される努力を重ねていかなくてはならないだろう。
では、どんな努力が出来るだろう。
目標設定や評価とそれを伝える手段としての定量化を行うと、「定量化できないもの」の重要性を知りながらも、ついそれを忘れがちである。
目が向きやすい部分だけで判断していると、人間としての交流が失われ、メンタルヘルスに悪影響を及ぼすこともある。
「定量化できないもの」があることをいかに上司は意識し、部下の評価に臨めばよいだろうか。
■全体としての貢献という視点で見る
現代は、「全体は部分の総和であり、定量化できて意味を持つ」と考えたモダン時代から、「全体を全体として把握しなければならなくなった。
命あるものとして見なければならない」とするポストモダン時代になったとドラッカーは指摘している(『テクノロジストの条件』)。
これは個人の評価についても同じである。
各項目の評定値の足し算ではなく、その個人全体で見て「組織に対してどんな貢献をしているか」を考えてみる。
すると、個人が上げる数値的な成果だけではない全体像が見えやすい。
そこには、営業としての「売り上げ」やプロジェクトの「進捗度合い」だけではない何かが見えてくるはずだ。
363:名無しさん@3周年
14/06/22 21:43:48.66 GpgAe+jv
>>362 関連
URLリンク(www.nikkei.com)
成果主義に落とし穴 ドラッカーが認める評価法は ドラッカーに学ぶココロの処方箋(9)(3/3ページ) 2014/6/22 日本経済新聞
(抜粋)
■あえて定量化できない部分を挙げる
目標管理において評価項目の数値に基いて評定した後は、定量化できないその人の特徴を挙げて本人に伝えてみよう。
「優しい」「明るい」「真面目」「臨機応変」「ケチ」「せっかち」「小心者」…。ポジティブなものはそのままに、ネガティブなものはポジティブに言い換えて伝えよう。
「ケチ→金銭感覚がしっかりしている」「せっかち→行動が早い」「小心者→慎重に物事を進める」など表現の仕方によって長所に変わる。
自分の中にある見えにくい部分を「上司が見ていてくれた」と感じることは部下のやる気を大きく刺激する。
「管理手段は、測定可能な事象のみならず、測定不能な事象に対しても適用しなければならない」(『マネジメント エッセンシャル版』)というドラッカーの言葉をもう一度かみしめたい。
■上司と部下の“評価”の違いを話し合う
目標管理面談を、上司が部下に評価を伝えるだけではなく、部下の自己評価と突き合わせて、「その差はなぜか?」を話し合う機会にするとよい。
最終的に上司の評価が覆ることが目的ではなく、上司、部下それぞれから見た違いをお互いが理解すれば、今後の目標設定や評価の調整に役立つ。
なにより、部下が「なぜこの評価なのか?」との思いを残さずに済む。
その話し合いの中では、お互いの価値観や仕事に対する取り組み方など評価項目に含まれないことも出てくるだろう。
それが大切だ。
改めて見えないものに注目しなければならない。ドラッカーは次のようにその配慮の必要性を強調している。
「定量化することはもとより、定義することさえ困難である。とはいえ、把握不能ということはない。いたって明白である。
データ化できないというだけにすぎない。データ化できないものを考えなければならない。データ化できないものについての配慮を忘れたデータ化は、組織を間違った方向へ導く」(『マネジメント-課題・責任・実践』)
364: ◆Rfkp.U.alk
14/07/28 18:42:32.68 ILBws55H
>>363
定量化が有っての「定量化できない部分」。
定量化できない部分がある、って話はすぐに定量化しなくてもいい、定量化は意味ないって方向に行っちゃう。
定量化できない部分は確かにある。
けど、評価者も被評価者も定量化できないことに甘えてはいけない。
定性的でもいいからそれが何なのかを突き詰めて考えないと、「なんとなくいいですね」的な評価になる。
それはすごく大変で大事な作業だ、ってドラッカーは言ってるわけだ。
けど、これって無茶苦茶難しいから、定量化できる部分で止めた方が公平感納得感が高い場合が多いように思う。