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ウィキペディアより
>製造当初は前面腰部のアルマイト板を赤く着色していたことから「頬紅電車」と呼ばれていたが、
>後年ラインカラーの制定により茶色(ビビッドブラウン)に変更され、併せて側面にも交通局シン
>ボルマーク入りの茶帯が入るようになった。この時に側面幕板部に設置されていたシンボルマーク
>入りプレートは撤去された。ただし、先頭車を中間車化したものは前面腰部の着色部は変更されず、
>保守されずに褪色していたが頬紅色のままであった。また、前面窓下には乗り入れ先の阪急の車両
>に準じて行先表示板を受ける金具が取り付けられ、EXPO準急での運用の際に使用されていたが、
>後年撤去された。
これらの変更はすべて昭和54年(1979年)3月4日のダイヤ改正に合わせたものだったのでは?
つまり、16~18編成を分解して01~15編成を6連化した時と同じ。ただし全編成が3月4日までに
装いを新たにしていたようには思わないが。
6002の編成は最晩年にタイムトレインとして運行された時は、看板を取り付ける台を復活させた
のだろうね。