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働く異邦人 言葉なんて超えてやる(ルポ迫真)
6月16日の昼下がり。福岡県朝倉市内の施設で、窓の外を見ながら高齢の女性がつぶやいた。
「テーブルまで連れて行ってちょうだいよ。外のテラスのテーブルまで行きたいの」
女性は認知症を患い、外にテーブルはない。だが相手をするフィリピン出身の
介護福祉士、モラレス・リネット(29)は流ちょうな日本語で話しかけた。
「掃除が終わってから行きましょうね。それまでこの本を読んで待ってましょう」。
女性は渡された写真集を静かにめくり始めた。
モラレスが介護老人保健施設「ラ・パス」で働き始めたのは2010年11月。
母国で大学の事務員を務めていたが、フィリピン政府が日本と経済連携協定(EPA)を
結んだことで日本で働くチャンスがあると知り、手を挙げた。「日本に出稼ぎをした親戚が、
大きな家を建てたことがうらやましくて」。夢は福岡で壁にぶつかった。
大学で教わった日本語が通じない。「みんな博多弁で話しかけてくるし、私が
知ってる言葉と全然違った」。研修の合間に、聞いた言葉を1つずつ反復して克服した。
EPAで来日した介護福祉士の候補者が働き続けるには3年以上の研修に加え、
国家試験に合格する必要がある。時間延長やふりがなといった措置はあるが、試験内容は
日本人と同じ。褥瘡(じょくそう)、臥床(がしょう)、不慮……。問題集に難解な漢字が並ぶ。
モラレスは3月、外国人の合格者が累計約240人の難関を突破した。月18万円程度の
給料のうち5万円を毎月実家に送る。最近、日本人の恋人もできた。「日本は住みやすいし、
将来もずっと暮らしたい」。利用者の評判は上々だ。「本当に優しくてよかね。言葉も
これだけしゃべれたら上等よ」と、入所者の松木英子(86)は語る。
(中略)
埼玉県上里町に住む日系ブラジル人3世の牧山タケオ(31)は「定住者」の在留資格で
02年に来日した。今も国籍はブラジルだ。自動車工場で働いたが、やはり08年の危機で
派遣の職を失った。
「このままでは全員共倒れだ。新規事業で農業に取り組もう」。牧山らに声をかけて
回ったのは、上里町でブラジル人の派遣会社を経営する斎藤俊男(46)だった。
日本国籍を持つ斎藤も在留資格の緩和を受けブラジルから90年に来日。派遣業で財を
なし、最盛期は450人のブラジル人を送った。同胞が次々と仕事を失う中、生き残りに
懸けたのが土地勘のない農業だった。
埼玉名産のネギを作物に選んだ。種まきから収穫まで1年近くかかり、草取りや
消毒など手作業も多い。忍耐が求められるネギの栽培は、苦難をかみしめた日系ブラジル人に
合うと踏んだ。
6月23日の早朝も牧山は畑に出た。「評価されるのはネギの出来具合。工場と違い
日本人もブラジル人も関係ない」。参入から6年目、25ヘクタールの耕作面積は
県有数の規模だ。「もっと良い物を作り、外国人だから怪しいというイメージを変えたい」。
白いタオルを頭に巻き、日焼けした顔で牧山は意気込む。(敬称略)
成長戦略の本丸とされる介護や農業の現場にも外国人が目立つ。その働く姿は
日本に何が足りないかを映す鏡のようだ。
日本経済新聞 2014/7/14 3:30
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