14/07/11 22:01:34.46 7ZG2GYVl0
「集団的自衛権」と「集団安全保障」は名前が似ているので混同しやすいが、
ある意味似て非なるもの、「水と油」という関係があり、そこが非常に重要なポイントです。
第一次世界大戦であまりにたくさんの死傷者が出た。にも関わらず、第二次大戦を国際連盟は抑えることが出来なかった。
そこを反省して、「紛争を一元的に解決しよう」という概念が「集団安全保障」で
「悪い人がいたなら、皆で抑制し紛争を解決していこう」というもの。
「集団安全保障」は一元的であることが特徴なので、
一部の国の思惑だけで動ける「集団的自衛権」は最初は紛争を解決する構想には入っていなかった。
しかし、ヤルタ会談で安保理の大国による拒否権が認められることになったので、
「集団安全保障は上手く機能しないだろう」と米州諸国(南米など)が安保理の大国による拒否権に対抗する意味合いで
「集団的自衛権」という概念が入ってきた。「集団安全保障」が先にあって、異物として想定していなかった「集団的自衛権」がはいってきた。
「集団安全保障」は一元的なのだが、「集団的自衛権」は一部の国の思惑で動け一元的では無いので、
両者はその部分などでぶつかる「水と油」の関係がある。
例えば、Aさんが急にBさんを殴ってきた。BさんがAさんに抗議したら、
事前にAさんとCさんが示し合わせて「Cさんが助けを求めていた」と言えば、
それが「集団的自衛権」の行使の理由になる。
また謀略でもって「本当は助けを求めていないけど、助けを求めている」ということにして、
それを理由に「集団的自衛権」を行使出来たりする。
アメリカの「イラクに大量破壊兵器がある」という主張のように。
このように理由をいくらでも作ることは非常に容易。
そういう危ない面が「集団的自衛権」にはあり、主に力が強い国の思惑によって行使の理由が作られやすいのも重要なポイント。
かつて、小沢一郎さんが「国連中心主義」を主張されていましたが、
これは、「集団安全保障」の概念を使って、主にアメリカの要求に対して、「日本に安全保障への参加を要求をするなら、国連の許可を取ってくれ。
国連の許可が無ければ、『集団安全保障』の枠組みで無ければ、日本は参加出来ません」とアメリカの無茶な要求をプロテクトする図式です。
「集団安全保障」を『盾にして』、日本の未熟な外交力を補完するもの。
その代わり、国連がOKを出せば、小沢さんは自衛隊を出すつもりだった。