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「このままでは日本が泥道にはまる」。集団的自衛権行使容認の議論が活発に
なり始めた頃、危機感から筆をとった浜松市中区の伊野瀬栄太郎さん(90)の
投稿は六月三日付に掲載された。
昔は全国の弁論大会に出場し、太平洋戦争の目的を「自存自衛だ」と訴える
軍国少年だった。岐阜県の陸軍航空整備学校に入り、戦争に走った。紙一重で
生きる日常に疑問を感じ始めた時には、もう引き返せなかった。「戦争を生きた
からわかる。社会の雰囲気、政治の論法があの時代に似ている」
戦後は国鉄に入社し、国鉄労働組合の中央執行委として国と対峙(たいじ)
した。かつての政治家は「もっと言葉が理論的だった」とみる。閣議決定最終案
の全文を読み込み「人の命がかかるのに、あいまい過ぎる。どうしても成し遂げ
たい首相の意志だけは伝わる」と指摘する。「今の若者も時流に流されやすい。
権力に批判的な目を持ってほしい」。後世に託すようなまなざしだった。
菊川市牛渕の内田昭代さん(87)は五月二十六日付で思いを伝えた。「今伝
えないと」との気持ちが駆り立てた。戦時は女子挺身(ていしん)隊として名古
屋の軍需工場で働いたが、一時帰省中に工場を爆撃され、多くの友人を失った。
「あの苦しみはもう嫌です。政治が間違った方向に歩かないように国民が見張っ
ていないといけない」と訴える。「まさか、この年でこんな思いにさせられると
は…」。小さくつぶやいた言葉が重い。
湖西市新居町の相坂秀夫さん(80)は六月十七日付で、太平洋戦争を「忘れ
ようとしても忘れられない」と書き出した。朝鮮半島で生まれ、戦争末期には相
坂さんと幼い妹だけが日本に送り返されたが、戦争の恐怖は今も心に残る。
安倍晋三首相に「国民のことを本当に考えているか」と投げかける。「首相の
意見が通れば、必ず犠牲者が出る。あの戦争で三百万人の犠牲者を出した国とい
うことをもう忘れたのか」と声を張り上げる。
六月十九日に初掲載された磐田西高二年の榎本ゆり子さん(17)は、授業の
一環で投稿した。テーマは真っ先に集団的自衛権を選んだ。「戦争という殺し合
いの一歩を踏み出していいのかな。そんな国に未来ってあるのかな」との戸惑い
をありのまま記した。
「すぐに戦争参加とはならない意見もあるけど、逆に言えば、いつかそうなる
可能性もある」と話す。「友だちとこういう議論はなかなかできないが、私の投
稿が何かを変えるきっかけになるといい」。榎本さんは、ずっと考え続けてい
る。(木原育子、写真も)