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Andrew Browne ウォール・ストリート・ジャーナル 2014 年 6 月 25 日 18:46 JST
URLリンク(si.wsj.net) Associated Press
↑写真、ソウルの日本大使館前に立つ元慰安婦の女性たち(2009年)
【北京】第二次世界大戦終了の直後、敗北した日本政府にとって喫緊の課題は、国内の女性たちを連合国占領軍の何十万人もの米兵から
どう守るかということだった。
解決策は「ianfu」(慰安婦)だった。
ボランティア(自由意思)による慰安婦が募集された。RAA(the Recreation and Amusement Association=特殊慰安施設協会)として
知られる政府公認の一連の売春所で働く仕事だ。
何千人もの日本人女性が応募し、「広く社会のために」自らを犠牲にすると覚悟した。
売春所は米兵たちの間で人気が沸騰。兵士たちの間で性病が広がり、数カ月後には閉鎖しなければならなくなった。
今では日本のボランティア女性たちの犠牲に言及されることはほとんどないが、そうした犠牲は戦時の慰安婦に関する考え方を体現していた。
慰安婦とは、太平洋戦争中に日本軍が性奴隷を指す言葉として生み出した言葉だ。戦時中の慰安婦の大半は、当時日本の植民地だった
朝鮮出身の女性だった。しかし中国人も相当な数がいた。
(中略)
終戦から70年たった今、韓国や中国などで元慰安婦の生存者が少なくなっているが、彼女たちは今なお正義を待ち望んでいる。
政治家たちが責任の所在という問題で言い争っている中で、正義を待ち望んでいるのだ。
安倍晋三首相は、アジア各地の元慰安婦に対する1993年の画期的な謝罪(河野洋平官房長官談話)を検証することで、この古傷を再び開いた。
河野談話の謝罪は、「慰安所」の設置と慰安婦の募集で旧日本軍が果たした役割を認めたものだった。
それは「心身にわたり癒やしがたい傷を負われた(犠牲者たち)」に対する自責の念を表明していた。
日本政府は先週、河野談話の謝罪の作成過程を検証した結果、日本と韓国の当局者が文言調整で秘密裏に交渉していたことが判明したと
発表した。これは、河野談話で純粋な自責の念のようにみえたものが、実際には外交上の産物であったことを示唆したことになる。
安倍首相は、この謝罪を撤回するよう求めるナショナリスト(国粋主義)的な同志たちから圧力を受けているが、
謝罪自体は撤回しないと述べている。しかし検証作業によって、ずっと責任回避的だった河野談話がさらにあいまいになった形だ。
慰安婦を商業ベースの売春婦だったと表現し、日本は不当に非難されていると主張する右翼勢力は、今回の検証に勇気づけられている。
(中略)
戦争終了後これほど多くの年月がたった今日、アジアの元慰安婦が今なお正義を求めているのに対し、政治家たちが技術的な詳細に
こだわり続けるのは一体なぜなのだろうか。
確かに、性犯罪への日本軍の直接関与に関する証拠を入手するのは困難だ。
中国の公文書専門家は、日本軍が撤退の際に記録や文書を徹底的に破棄していたと述べている。
慰安婦たちの一部は、自分たちの境遇を生前に一言も語ることがなかった。
生存者たちによると、慰安婦はいったん「摩耗」したり、病気になったり妊娠すると、即座に殺され、時には銃剣で突き殺されたという。
「慰安所」をどのように説明すべきかの議論が続いている。
慰安婦のための正義を求める人々は、それが村々から拉致された女性や少女のあふれるレイプセンターだったと表現する。
だが、この説明は大きな違いを見落としている。1937年に日本軍によって陥落した上海など中国の主要都市では、軍の「慰安所」は、
日本の民間人向けの売春宿システムの中に設置され、規制も厳しかった。
女性たちの扱いは、戦争の前線に近い臨時施設の方が悪かったようだ。中国人のブローカーが主要な役割を果たし、侵攻してくる日本軍の
ために女性たちを調達していた。
このため日本の右翼勢力は、責任の所在が旧日本軍にあるとする画一的な議論を否定している。
>>2に続く