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908 名前:名無しさん@6周年 投稿日:2005/07/17(日) 22:01:32 ID:zLKS3ds60
URLリンク(nytimes.com)
NYT:オランダの寛容さは、時限爆弾のようなもの
昨年の、ファン・ゴッホ映画監督の暗殺の裁判が今週行われている。2002年に起こった政治家
のPim Fortuynの暗殺とあわせて、それらはエラスムスとスピノザのオランダの終焉を意味する。
オランダの寛容さがすぐに消滅するという事ではないのだが、これらの暗殺事件はオランダ社会
が1960年代や70年代の文化的な、また性的な革命以来の40年余りの伝統を揺り動かすものであり
その繁栄の時代にイスラム教徒が数多く移民してきたのである。
学生や知識人には「市民的不服従」という概念が大いにもてはやされ、学生やアーチストがハプニング
を実演して街頭を占拠していた。1980年代のオランダの文化革命ではアナーキストの乱闘があり
催涙ガスがあり、アムステルダムのベアトリクス女王の戴冠式がかすんでしまうといった具合だった。
そういうわけで、寛容なオランダのイメージができた。コーヒーショップでマリファナが(合法的に)売られ、
やたらに髪を長く伸ばした警官が生まれ、ゲイやレズビアンが妨害を恐れることなく出歩き、
公共TVがフル・ヌードを放映し、働きたくない人の為に政府が寛容な福祉政策を準備した。
次に起こったことはモロッコからの若い移民の増加で、多くは読み書きが出来ずオランダ語も
殆ど話せない人たちがオランダの急速に拡大する産業に雇用された。彼等は長期の労働VISA
でやってきて、高学歴の、しかしあきらかにデカダンな、文化革命の最中のオランダ社会に直面した。
彼等の多くは驚いて、この国は、何かの奇妙な見世物のようなことをやっているのか、と思った。
移民は初期に未熟練労働力として働いていたのだが、80年代、90年代を通じた産業の高度化のために、
そうした労働力は歓迎されなくなった。しかし政府は彼等をモロッコに送り返す政策をとらず、社会福祉
の対象になり、モロッコから家族を呼び寄せるようになった。そのためにオランダの市や街のなかに、
民族と宗教の異なるゲットーが生まれることになった。
913 名前:名無しさん@6周年 投稿日:2005/07/17(日) 22:06:08 ID:zLKS3ds60
このために、オランダの伝統的な寛容を尊ぶ社会の微妙なバランスが崩れ始めた。
政治家やアーチストは伝統的なカルビン的な性格の価値観を捨てた。モロッコ移民の子供達が増加し、
それらの若者には裕福な生活には手が届かない。
政治家達は、起こりつつある移民の問題を議論しようとはとせず、進歩的なオランダにとっては
文化や宗教の相違や対立の問題があることをまともに論じるようなことは受け入れがたい。
これらの、文化的混乱、宗教的誤解、そしてポリティカル・コレクトネス(偽善)が混ざり合って、
その結果Pim Fortuynの出現する舞台が生まれた。彼はしばしば右翼のように言われるが、
実際は個人の自由を信奉するルベラルであり、社会と文化的には伝統的なオランダの価値観を
尊重する保守なのである。
ゲイであることを誇りにするPim Fortuynはイスラムの宗教的なゲイへの憎悪に反対し、イスラム移民を
オランダ社会に同化すべき政策を説いた。
彼のやったポリティカル・インコレクトネス(偽善を廃して直言する)は既存の政治的エスタブリシュメントに
ショックを与え、多くの市民に好意的に受け取られ(as a kindred spirit)たのだ。
しかし、オランダ生まれのモロッコ移民の2世の若者にとって、伝統的なオランダの寛容さは無関係であり、
自分達と異なるライフスタイルを許容できない。そうした過激派が政治家やゴッホ監督を暗殺する。
大きな変革を行わないならば、オランダの寛容さは更に被害を大きくするのに役立つだけだろう。
まず最初は、イスラム諸国からの移民を抑制する法律を制定することだろう。さらにイスラム教徒のやっている
彼等の祖国から、お見合いで結婚を決めてオランダに呼ぶという方法を抑制することを考えるべきであろう。
より長期的には、我々は若いイスラム教徒に、オランダ社会のマジョリティの価値観である
カルビン主義を薦めるべきであろう。若いイスラム教徒の一部に見られる過激主義は社会への脅威で、
オランダのみならず国際的な取り組みで対処すべきもので、それは時限爆弾なのである。
恐らくは、この国(オランダ)が最も必要とするのは、もう一人の例外的な、明確にものを言う、ゲイの政治家なのだろう。