【社会】「旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害または略奪行為があったことは否定できない」 安倍内閣が答弁書 at NEWSPLUS
【社会】「旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害または略奪行為があったことは否定できない」 安倍内閣が答弁書  - 暇つぶし2ch898:名無しさん@0新周年@転載は禁止
14/06/24 18:58:13.68 zs9tda9V0
◆日本軍は決して残虐ではなく、むしろシナ一般人から信頼されてた証拠1

黄河決壊事件
URLリンク(ja.wikipedia.org)

 中国国民党軍が日本軍の進撃を止める目的で起こした黄河の氾濫である。中国では花园口决堤事件と呼ばれる。犠牲者は数十万人に達し、農作物に与えた被害も住民を苦しめた。
国民党軍側では劉峠第一戦区副司令官の「黄河の堤防破壊により洪水を起すことによって日本軍の進撃を阻止」する案が示され、蒋介石の承認を得た。

 氾濫は河南省・安徽省・江蘇省にまたがる54,000平方kmの領域に及んだ。
水没範囲は11都市と4000村に及び、3省の農地が農作物ごと破壊され、水死者は100万人、被害者は600万人と言われるが被害の程度については諸説ある。

 日本軍の対応
12日午後5時に日本軍の2部隊が堤防修理に出動し、開封治安維持会からも50名以上が自発的に応援に出た。
日本軍は筏船百数十艘を出して住民とともに救助活動を行い、同時に氾濫した水を中牟付近から別の地域に誘導するために堤防と河道を築いた。

 国民党軍は現場に近づく日本軍に攻撃を加えたほか、日本軍が住民と共同で行っていた防水作業を妨害した
(日本軍は住民と共に土嚢による防水作業を行い、日本軍の航空機も氾濫した地区において麻袋をパラシュート投下してこれを支援したが、対岸にいた中国軍は、その航空機と地上で防水作業中の住民に激しい射撃を加えた)
日本軍に救助された避難民は開封方面1万、朱仙鎮、通許方面5万、尉氏方面2万、その他数万であった。

 中国側の虚偽発表
中国国民党は当初から「黄河決壊事件は日本軍が引き起こしたものである」との発表を行っていた。6月11日午前、中国国民党の通信社であった中央社は「日本の空爆で黄河決壊」という偽情報を発信した。6月13日には全土の各メディアが「日本軍の暴挙」として喧伝した。

 

 各国メディアの報道
中国軍は黄河の堤防を破壊してノアの大洪水に勝る大水害を起こそうとしている。
中国の中部地域における70万平方キロメートルの地域が水没の危機に晒され、7千万の住民が大洪水の犠牲となろうとしている。しかし英、米、仏いずれからもこの世界に前例なき人類一大殺害に対し一言たりとも抗議する声を聴かない。

 民衆の離反
水害、干ばつ、イナゴの発生、および湯恩伯による重税により、300万人あまりが餓死した。
この状態が続けば河南省は全滅していたが、1943年の冬から1944年の春までの間に日本人が河南の被災地区に入り多くの軍糧を放出して多くの人々の命を救った。
(ウーによれば飢饉の数年間、日本側は各地の食糧倉庫から食糧を放出し、飢えた人々に食糧を調達していた)

 河南省の人々は日本軍を支持し、日本軍のために道案内、日本軍側前線に対する後方支援、担架の担ぎ手を引き受けるのみならず、軍隊に入り日本軍による中国軍の武装解除を助けるなどした者の数は数え切れない程だった。
農民は猟銃、青龍刀、鉄の鍬で武装すると、シナ兵士の武器を取りあげはじめ、最後には中隊ごと次々と軍隊の武装を解除させるまでに発展した。

 推定では、河南の戦闘において数週間の内に、約5万人の中国兵士が自らの同胞に武装解除させられ、全ての農村において武装暴動が起きた。
日本軍に敗れた中国兵がいたるところでシナ民衆によって襲撃、惨殺、あるいは掠奪され、武器は勿論、衣服までも剥ぎ取られた。

 3週間以内で日本軍はすべての目標を占領し、南方への鉄道も日本軍の手に落ちた。この結果30万の中国軍は全滅した。

 これが史実。日中戦争においてシナ民衆を救い、その支持と支援を集め、シナの平和統一のために粗暴な賊軍であるシナ軍と闘っていたが大日本帝國軍。
後々のことを考えれば、大日本帝國によってシナが統一されてたほうが、シナ人民のためにも幸福であった。

 キチガイ左翼が絶対認めたくない、そっ閉じする歴史。


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