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朝鮮_人が手数料を払って日本に大量密航。日本は密航朝鮮_人を強制送還
『鮮_人密航団を発見/同勢三十六名の内/十六名を捕へて送還』 中国 1926/3/23 〔〕 下関・山口 【渡航】
『七十余名の密航船/下関で発見』 京城日報 1926/4/17 〔3/3〕 下関・山口 【渡航】
『二十余名の密航鮮_人/西唐津で発見』 福岡日日 1929/4/10 夕 〔1/2〕 唐津・佐賀 【渡航】
『朝鮮_人の密航団/一人あたり十五円の料金で/三十二人山口県へ』 中国 1931/4/30 〔〕 下関・山口 【渡航】
『四十余名の大密航/釜山で検挙』 大阪毎日 1933/6/10 朝鮮 〔5/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『朝鮮からの密航者/首魁等百八十名検挙/県特高東西両署特高課/昨夜から今暁への大捕物』 呉日日 1934/11/29 〔〕 広島・広島 【渡航】
『二百名の大量密航/広島県へ鮮_人が潜入』 門司新報 1934/11/29 〔1/5〕 ・広島 【渡航】
『密航鮮_人五十名/先づ故国へ送還/更に全面的に検挙』 中国日報 1934/12/5 〔〕 広島・広島 【渡航】
『数年間に二千人世話し一万数千円を捲あぐ/十人の妾をもち住所を転々/密航ブローカーの巨頭、犯行自白』 大阪毎日 1936/9/26 朝鮮 〔5/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『大密航団検挙/ブローカー五名と外に六十六名』 大阪毎日 1937/12/18 朝鮮 〔5/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『密航鮮_人六十名/八幡署に捕る』 九州日報 1938/8/18 〔7〕 北九州・福岡 【渡航】
『約五十回にわたり千名を密航さす/常習の船長ら出帆間際に捕る』 大阪毎日 1940/3/5 朝鮮 〔5/11〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『密航船逮捕』 大阪毎日 1940/5/3 朝鮮 〔5/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】
朝鮮_人が労働組合を作りデモやストライキをして日本人の雇用を収奪
『内地人の失職は続出しつゝあるが朝鮮_人の失職は一人も無い 不景気風は未だ鮮_人労働者に吹かぬのか …一の奇現象』 九州日報 1920/6/12 〔4〕 ・福岡 【労働】
『賃金の安い鮮_人が内地の労働者を圧迫/社会局の失業者救済策』 大阪毎日 1923/5/4 〔3/1〕 東京・東京 【労働】
『在阪十数個の鮮_人団を纏めた一大労働組合/鮮_人一万人以上を網羅す/過日大会の紛擾は諒解を欠いた』 大阪毎日 1922/12/4
『朝鮮労働組合百五の連盟成る/内地支部の設置と支那労働者と握手の機運』 大阪朝日 1924/3/16 〔11/8〕 東京・東京 【労働運動】
『内地の失業は朝鮮より多い/漫然渡航を根本から矯めよ/隣保館の宋氏語る』 京城日報 1928/10/21 〔7/8〕 ソウル(京城)・朝鮮 【渡
『職と食を与えよとデモ、失業鮮_人ら』 社会運動通信 1933/2/1 〔5/1〕 富山・富山 【労働運動】
『失業反対デモ、名古屋の朝鮮_人』 社会運動通信 1933/5/18 〔3/6〕 名古屋・愛知 【労働運動】
日本は第二次世界大戦に突入し、多くの日本人が徴兵されていきます。
当然、朝鮮人も「朝鮮人内地移送計画」による国家戦争の協力を日本人と同様に強要されます。
第二次世界大戦で日本人が徴兵され、国内で労働者が不足し、32万人の朝鮮労働者が徴兵された
日本人労働者の補充として日本に移送されました。
1944年からは日本でも子育ての主婦が工場に徴用され、日本国内の労働者の確保に限界が生じ、
朝鮮半島での本格的な「徴用」が始まります。
1945年からは日本人男子がほとんど徴兵され、兵隊の確保のために徴兵の範囲を拡大して
朝鮮半島での「徴兵」が始まります。日本人の徴兵や徴用は日本人の問題で、朝鮮人の徴兵や
徴用は「強制連行」というのは、当時を考えればおかしなことです。
日本人は徴兵や徴用という「強制連行」によって戦地で死んでいっても、朝鮮人の徴兵や徴用
はするべきでなかったという主張など不可能な話です。
第二次世界大戦の当時に、朝鮮だけは特権的に世界的な大戦の中で平和に暮らす権利があった
かのような韓国の主張には納得できない心境です。
炭鉱などキツイ仕事場で亡くなった人は日本人が圧倒的に多いのに、日本人が朝鮮人を
奴隷にしてたのような捏造にはウンザリ