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大洋ホエールズ:誕生から65年 発祥の地・下関で話題に
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下関で誕生したプロ野球球団「大洋ホエールズ」の歴史を見直そうという
動きが山口県下関市で起きている。球団創立から今年で65年、
拠点を川崎市に移してから間もなく60年。その面影を下関でたどることも難しくなる中で
「市民に親しまれた球団の歴史や、ファンの思いを後世に伝えよう」という思いが背景だ。【平川昌範】
「球団OBをはじめ当時を知る人が少なくなってきた。このまま忘れられていくのは寂しくありませんか」
6月8日、下関市幸町の市勤労福祉会館。
「大洋ホエールズ誕生65年記念〜下関で誕生したプロ野球球団物語」と題した講演会で、
講師を務めた下関市内の小学校教諭、佐竹敏之さん(54)がホエールズのユニホーム姿で約30人の参加者に語りかけた。
佐竹さんは下関生まれだが、ホエールズの歴史に本格的に関心を持つようになったのは、
ホエールズの流れをくむ横浜ベイスターズが1998年に日本一となり、
下関で優勝パレードが繰り広げられたのがきっかけ。
資料を集め、2009年には球団誕生までの歴史を描いた「大洋ホエールズ誕生前!」を自費出版している。
かつてホエールズの観戦客でにぎわった同市向洋町の旧下関球場は85年に解体された。
現在は下関市立市民病院が建っており、当時の面影を残すものはないという。
講演会で、佐竹さんは「ありがとう(は)私たちは忘れない」と書いた横断幕を披露した。
02年のオープン戦で、ベイスターズが現在の下関球場に登場したときに掲げたもの。
今後は「球団の歴史を伝える記念碑を旧下関球場の周辺の場所に建てたい」という。
◇気さくな選手多かった−−アナウンス担当・南部さん
講演会の会場には、かつて大洋漁業に勤務した下関市綾羅木本町の
南部知保(なんぶちほ)さん(75)の姿があった。昭和30年代前半から十数年間、
旧下関球場の放送室でアナウンスを担当した。既に球団の拠点は川崎市に移っていたが
年に数回は下関で試合があり、大洋漁業の社員総出で切符切りなどにあたったという。
「気さくな選手が多く、試合前にアナウンスマイクで歌を披露する選手もいました。
市民に身近なチームでした」。選手らと一緒に写った記念写真は
今でも南部さんの宝物であり、当時を知る貴重な資料でもある。
自宅で保管していた対戦相手との打順表には西鉄ライオンズや阪急ブレーブス、
大毎オリオンズや東映フライヤーズなど今はなきチーム名もみえる。
巨人戦の打順表には王貞治さんの名前もある。
「ホエールズが下関で生まれ、大勢の市民が応援したことを大勢の人に知っておいてほしい」と
南部さんは言う。佐竹さんも語る。「ホエールズが徐々に下関から遠い存在になり、
最近では下関で生まれたことさえ知らない人もいる。
しかし下関でプロ野球チームが生まれたことは郷土の輝かしい誇りだと思います」