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広島の助産婦の証言 ー ヒバクによる奇形
私は昭和20年当時、尾長町で産院を開業していました。41歳でした。
その頃はまだ家庭分娩が多うございましたが、だんだん少なくなりまして、昭和30年頃には、皆産院に吸収されました。
何も記録は持っていませんが、奇形がたくさん出ました。
当時はABCCへ、みな報告しなくてはいけないシステムになっていました。
奇形が出ましても、報告するのを嫌う人もございましたので、しなかったこともあります。
一番多かったのは兎唇でございました。それも口蓋裂もあって、泣くと喉の奥まで見えるんです。
お乳も飲めないような...それから肢指過剰ですね。多指です。それから鎖肛(正常な位置に肛門がなく、
直腸が盲端になっており、5千人に1人の確率で発病する)。
肛門のないのも多うございました。兎唇や多指は数が多うございました。
分娩で頭の先がでましたら、今度も兎唇じゃないかしらと思ったら、やはりそうで、そのたんびに憂いたことを覚えています。
あーどうしてこんなに兎唇が生まれるんかしらと思いました。