14/06/09 13:24:04.75 0
命救った愛車、中津川で復活 「絶対残す」執念で修理
URLリンク(www.gifu-np.co.jp)
9人の犠牲者を出した中央自動車道笹子トンネル事故から1年半。
天井板が崩れ落ちるトンネルを、大破しながら夫婦を守って走り抜けた車が、
中津川市の自動車販売会社でよみがえった。事故以前からメンテナンスを施してきた縁。
「事故を知るこの車。絶対このまま朽ち果てさせない」─。社長らの熱い思いで、廃車寸前だった車に命が吹き込まれ、再び走り始めた。
◆笹子トンネル事故、大破しながら夫婦脱出
2012年12月2日午前9時すぎ。中津スバル販売(同市千旦林)社長の代田敏洋さん(54)は、
電話を受けたのは朝礼の最中だったと記憶している。
「大変な事故で車が壊れた。妻がけがをした」
電話の主は当時山梨県在住の男性。2カ月前に来店し、愛車「インプレッサWRX」の
15年目の車検と、新車状態に近づけるメンテナンスを受けたばかりの顧客だった。
男性との付き合いはその前年からで決して長くはない。だが中央道から、約200キロ離れる同社に、
15年間大切に乗り続ける車の整備を任せる信頼関係があった。「とにかく行く」─。代田さんは迷わず現場へ向かった。
道中、前例のない大惨事であることが徐々に分かってきたが、同県大月市内で男性と車に再会できた。
男性の妻も軽傷と聞いた。2人を守った車はシートに包まれていたが、
シートの下からのぞく足回りは大丈夫そうに見えたという。「このまま朽ちさせてはいけない。絶対に残す」。
車をなでながら、その場で代田さんの思いは固まった。男性からの依頼はないが、決めた。
昨年3月8日、受け入れのため再び大月へ。不安はあったが、3カ月ぶりにエンジンに火を入れた。
「ドルルルルン」。一発で事故前と変わらない深いエンジン音が響き、そろりとクラッチをつなぐと動き出した。
「うれしそうに(運搬する)キャリアカーに上っていった。迎えに来るのを待ちわびていたかのように」と、代田さんは振り返る。
中津川に戻り詳細に車を見た。男性の妻が乗っていた助手席側のフレームは押しつぶされるように変形し、
ガラスは粉々。ボディーにも深い傷がついていた。「車が守ってくれたのだ」と痛感した。
「直して展示するだけでは駄目。再び以前のように走らせる。よみがえらせる」。エンジン音を聞き、決意は揺らぎないものとなった。
それから1年3カ月。足回りを交換し、エンジンをはじめボンネットや
運転席側のドア、シート、ハンドルなどの内装、使えるパーツは全て再整備した。
だから助手席シートには裂傷が残っている。当時のままだ。
代田さんとエンジニアがその技術と執念を注ぎ続けた車は今月2日、完成した。
「前のまま、いいエンジン音だ」。事故からちょうど1年半が経過していた。
代田さんは「車は魂を持ったパートナー。オーナーの気持ちと車の魂、われわれの執念で復活した」
と目を細める。ブルーの車体が喜んでいるように見えた。
URLリンク(www.gifu-np.co.jp)
笹子事故から1年半。代田敏洋社長らの技術と執念でよみがった
「インプレッサWRX」=中津川市千旦林、中津スバル販売