【歴史】異国や孤島に英霊を放置して恥じぬ戦後日本…日本の「負けっぷり」の悪さを象徴、今もなお113万柱が日本に帰還できずat NEWSPLUS
【歴史】異国や孤島に英霊を放置して恥じぬ戦後日本…日本の「負けっぷり」の悪さを象徴、今もなお113万柱が日本に帰還できず - 暇つぶし2ch1:Hi everyone! ★@転載は禁止
14/06/05 15:26:16.14 0
ソース(MSN産経ニュース、SANKEI EXPRESS、政治部専門委員・野口裕之氏)
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
写真=硫黄島での戦没者の遺骨収集作業を視察し、遺骨に手を合わせる安倍晋三首相(前列左から2人目)。硫黄島では今なお、
1万3000柱の遺骨が収集されていない
URLリンク(sankei.jp.msn.com)

 戦場に散り、葬られた夫の亡骸を求め、生後6カ月の赤子を背負い、おびただしい数の穴を一つ、また一つと掘り返す妻…。
薩摩武士の妻女・武田ツルが西南の役(1877年)で見せた気迫は、凄絶なのに痛々しい。夫への情愛の濃さが支えたのだろう。
同時に小欄は、戦に敗れし者の意地も見る。敗者の意地は「負けっぷり」の良さとして、キラリとした輝きを放つ。だが、大東亜戦争
(1941~45年)後の日本に敗者の意地はない。来年は戦後70年。だのに、祖国の独立と自由のため、尊い命を捧げられた
113万柱もの海外戦没者が未だ、ご帰還を果たさずにいる無様は「負けっぷり」の悪さの象徴ではないか。(SANKEI EXPRESS)

■113万柱が未帰還

 ベトナム戦争(1960~75年)後20周年記念の1995年、訪越したウィリアム・ペリー国防長官(86)の第一声は「未だ行方不明と
なっている将兵の捜索に協力してほしい」だった。米国は遺体・遺骨を確認するまで捜索。その間は「戦死者」として数えず「行方不明者」
と呼ぶ。確認されると、星条旗に包んだ棺に納め、衛兵に守られて祖国に帰還。首都ワシントン郊外のバージニア州・アーリントン
国立墓地に葬られる。「勝ちっぷり」も「負けっぷり」も見事という他ない。

 内面に秘めた、優しさと強さを兼ね備える「薩摩おごじょ」の逸話に戻る。夫や父、兄弟の生死が判然とせぬ薩摩の女性は戦場を
探し回った。ツルも一族の反対を抑え、四男を背負い種子島を出発、鹿児島で下船後は、熊本郊外の戦場まで歩いた。戦場では、
雇った人夫を使い、気の遠くなるような数の穴にクワを入れた。出陣に際し着込んだ綿入れの柄が唯一の手掛かり。ツルは遺骨を
抱いて故郷に還る。往復37日間の「女の闘い」であった。

 ツルや米国の情念に比し、異国や孤島に英霊を放置して恥じぬ戦後日本の様は哀し過ぎる。彼の戦争において、外地で亡くなった
大日本帝國陸海軍の将兵や軍属、一般邦人は240万人。内、113万柱の遺骨が野晒しか、海底に眠る。沈没艦艇や国によっては
遺骨収集が困難な場合もあるが、即収集可能な遺骨は60万柱近くに達す。

 遺骨収集事業は厚生労働省社会・援護局外事室が中心となって行われている。ところが、収集作業の中核となる外事室員はわずか
40人。2013(平成25)年度中に国内外に派遣された政府職員は延べ161人で、身元鑑定の専門家やボランティアが延べ310人
だった。予算も18億円に過ぎぬ。人員・予算共に年々増加傾向にあって、この程度というから唖然とする。人員・予算を増やせば柱数も
増える実態は、過去のデータで証明できる。もっとも少々の人員・予算増で、今の収集ペースを多少向上させたところで、60万柱の
収集だけで「ウン百年」もかかる計算だ。

>>2以降に続く)


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