14/06/05 08:05:39.78 fOmJbBpe0
>>123
戦前の矯風会って、実はバリバリの愛国団体で戦争支持しまくってたからなぁ・・・
いま天皇の戦争責任の追及に熱心なのは、自分たちの罪を天皇に押し付けたいからだろう。
お部屋2376/われ弱ければ人のせい??矢嶋楫子と矯風会
URLリンク(www.pot.co.jp)
>矯風会は戦争を肯定する姿勢を明らかにし、矯風会の中には「軍人課」も設けられていた。この国で初めて戦地に慰問袋を送ったのは日露戦争の際の矯風会であった。
>日露戦争では、幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三、与謝野晶子ら、社会主義者、キリスト教徒、文学者らが反戦の姿勢を見せた。
>しかし、楫子が率いる矯風会は積極的に戦争を支援する立場をとった。
>筆者は矯風会は政治的には右でも左でもなかったとする。事実だろう。時の権力に擦り寄る姿勢が露骨なだけだ。あるいは戦争が好きなだけだ。
>この楫子の姿勢は教え子たちの中からも涙ながらの批判をされている。
(略)
>楫子の死後だが、この楫子の姿勢を批判できなかった矯風会は、案の定、太平洋戦争時には再度軍部に協力している。
日本キリスト教婦人矯風会
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>歴代会頭
>
> 矢嶋楫子
> 潮田千勢子
> 小崎千代
> 「久布白落実」
久布白落実
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>1940年10月17日の皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会の奨励を担当、「興亜奉公という偉大な精神は日本国民に対して火の柱、雲の柱であると信ずる、新体制は十字架の道である」と述べた。