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高円宮典子さま 婚約内定
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高円宮家の次女の典子さまが、島根県の出雲大社の神職、千家国麿さんと婚約されることになりました。
宮内庁では、27日午前11時から西ヶ廣宮務主管が記者会見し、
「典子女王殿下には、本日、千家国麿氏と御婚約が御内定になりました」と発表しました。
典子さまは、故・高円宮さまと、妃の久子さまの次女で、25歳。
3年前に学習院大学を卒業したあと、進学や就職はせず皇族としての公務などに臨まれています。
千家さんは、典子さまより15歳年上の40歳。
代々、出雲大社の宮司を務めてきた千家家の長男で、平成8年に国学院大学を卒業したあと、
東京と京都の神社を経て、平成17年から出雲大社の神職をしています。
お二人は、典子さまが大学に入学した直後の平成19年4月、出雲大社を参拝した際に初めて会い、
その後、両家が家族ぐるみのつきあいをするなかで交際を深め、結婚の意思を固められたということです。
27日は、発表に先立って、典子さまが母親の久子さまと天皇皇后両陛下のお住まいの御所を訪れ、両陛下に婚約の内定を報告されたということです。
皇族の婚約は、両陛下の長女で、平成17年に結婚した黒田清子さん以来です。
今の皇室には未婚の女性皇族が8人いて、天皇の子や孫でない「女王」と呼ばれる女性皇族の結婚は、
昭和20年に結婚した久邇宮朝融王の長女、正子女王以来となり、戦後では初めてになります。
お二人の婚約は、今後、一般の結納にあたる「納采の儀」と呼ばれる儀式が行われて正式に決まり、
結婚式は、ことしの秋に出雲大社で行われる予定だということです。
典子さまと千家さんは、午後3時からそろって記者会見に臨み、今の心境や結婚の意思を固めるまでの経緯などについて語られる見通しです。
典子さまは、平成14年に亡くなった天皇陛下のいとこの高円宮さまと高円宮妃の久子さまの次女として、昭和63年7月22日に誕生されました。
幼い頃から音楽や美術に親しむ一方、バレエなどの習い事にも励み、芸術鑑賞や読書を趣味とされています。
小学校から大学まで学習院に通い、中学から高校にかけて、演劇部やコーラス部で活動するとともにイギリスでのホームステイも経験されました。
中学2年生の時に高円宮さまが亡くなり、久子さまのもと二人の姉妹と共に成長されました。
大学では臨床心理学などを学び、在学中に始めた書道は今でも定期的に習われています。
二十歳の成年となったあとは、学業に支障の無い範囲で公務に臨み、大学卒業後は、進学や就職はせず、
宮中行事や都内や地方での公務に当たられてきました。
千家国麿さんは、典子さまより15歳年上の40歳。
代々、島根県の出雲大社の宮司を務めてきた千家家の長男です。
平成8年に国学院大学文学部の神道学科を卒業したあと、東京の乃木神社と京都の石清水八幡宮を経て
平成17年から出雲大社の神職となり、現在は、祭祀を担当する部長として父親の千家尊祐宮司を補佐しています。
出雲大社では、平成20年から「平成の大遷宮」が始まり、千家さんは、実務責任者として、
当時、NHKのインタビューに応じ、「先人の方々が残してきた信仰や本殿を後世にしっかりと受け継いでいきたい」と述べていました。
宮内庁によりますと、典子さまが初めて千家さんに会われたのは、大学に入学した直後の平成19年4月。
久子さまと出雲大社を参拝された際でした。
高円宮家と千家家が家族ぐるみでのつきあいを続けていたなかでのことです。
千家さんは東京と京都の神社での勤めを経て、出雲大社の神職となっていました。
お二人は、その後、徐々に交際を深め、結婚の話も出るようになりましたが、
典子さまの学生生活や成年皇族としての活動も考慮し、時間をかけて結婚の意思を固められたということです。
高円宮妃の久子さまは、次女の典子さまの婚約内定に当たって文書で感想を寄せ、
「二人で温かく幸せな家庭を築いてくれることを祈っています」と述べられました。
そのうえで、「常に感謝の気持ちと奉仕の心を忘れず、日々の務めを果たしてほしいと思います。
出雲は歴史と伝統のある地ですので、よく勉強をして、早く新しい生活に馴染んでくれればと願っています」とつづられました。
千家さんの父の尊祐さんは、婚約内定にあたって妻の礼子さんと連名でコメントを出し、
「大変畏れ多きことではございますが、誠に目出度きことと感謝申し上げています。
大きな慶びをいただきましたことを有難く存じています」と述べました。
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