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慰安婦問題が過熱した1990年代初め、朝日新聞ソウル特派員として前川惠司(現在は退社しジャーナリスト)は、
韓国内で元慰安婦らに取材した。日本にいたときも「韓国・済州島で奴隷狩りをした」との虚偽の強制連行証言をし、
朝日が繰り返し取り上げてきた吉田清治とも会った。
「確か80年に川崎支局で『韓国・朝鮮人』という続き物をやっていたころ、吉田が『自分の話を聞いてほしい』と支局に電話をかけてきた。
彼の自宅に行って3、4時間ぐらい話を聞いたが、(核心部分の)済州島の話はまったくでなかった。
尋ねるたびに話のつじつまが合わなくなるので結局、多くは書かなかった」
本紙の取材にこう語る前川は、元韓国人慰安婦にインタビューし、「女子挺身(ていしん)隊」の名で慰安婦が戦場に連行されたと、
事実をねじ曲げて伝えた朝日新聞平成3年8月11日付朝刊(大阪版)の植村隆(今年3月退社、大学講師)の署名記事についても首をひねる。
「『勘違いしているな』と直感し、すぐに訂正がでるだろうと思った」
挺身隊が慰安婦と異なるのは、少しでも戦時下の日本について調べればすぐ分かる常識だったからだ。
前川はこの4月、ソウル時代に元慰安婦を取材したエピソードを「戦場の慰安婦哀譚昨今」(亜細亜大学アジア研究所所報第154号)と
題したエッセーにつづった。そこから浮かび上がるのは、元慰安婦の女性らが支援団体らの主義主張に「利用」されているという一面だ。
エッセーには、前川のこんな忘れられない光景が記されている。
93年11月、当時の首相、細川護煕と韓国大統領、金泳三による首脳会談が韓国の慶州で行われたときのことだ。
元慰安婦を支援する韓国の団体が、元慰安婦ら十数人を中心としたデモを展開した。
厳しい寒さの中、元慰安婦らは、薄い生地の白いチマジョゴリで、傘もささず雨の中を歩かされていた。
時折、デモの指導者のかけ声に合わせ、「日本は補償しろ」と叫んではいたものの、顔面は蒼白(そうはく)だった。
前川が「おばあさんたちが風邪をひいてしまう」と案じていると、その目の前で1人が倒れてしまった。
「これが人権団体のやることか」
前川は憤りを禁じ得なかった。ほかにも、こんなエピソードが記されている。
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
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