14/05/23 09:09:01.11 Oa9m8R8U0
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> じつのところ、事件の顛末を詳しく聞くことはかなわなかった。宇沢が私にきっぱりとこういったからである。
> 「わざわざきていただいて悪いんだけれども、彼の一件についてはもう話もしたくない、というのがぼくの率直な気持ちです」
> なにが起きたのか。当時の関係者の話から浮かび上がってきた事実を記してみたい。
> 竹中の処女作『研究開発と設備投資の経済学1経済活力を支えるメカニズム』が東洋経済新報社から出版されたのは八四
>年七月だった。宇沢のもとにも竹中から献本が届けられた。
>
> 「竹中君がこんな本を送ってくれたよ」
>
> 設備投資研究所で、宇沢はそういって鈴木和志に本を見せた。鈴木との共同研究が入っていたからだ。ところが鈴木は本
>を見て驚いたような顔をしている。不審におもって宇沢がたずねると、鈴木には献本はなく、竹中の出版を鈴木はまったく知
>らなかった。鈴木が激しいショックを受けたことは傍目にもわかった。宇沢や同僚たちのいる前で泣き出してしまったのである。
>
> じつは、竹中は本を出版するかなり以前に鈴木のもとを訪れていた。共同研究の成果を竹中の名前で発表することの承諾
>を求めたのである。鈴木は拒否した。
>「二人で研究したのだから、発表するなら二人の名前で発表してほしい」
> 鈴木は竹中にそういった。結局、話し合いがつかず二人は別れた。鈴木はこのあと竹中から何も知らされず、しかも突然出
>版された本には、承諾しなかった共同研究の成果が収められていた。
>鈴木にとってもアメリカでの研究生活の集大成だった論文だ。
>悔しさのあまり涙を流したのだろう。