14/05/22 10:58:41.99 0
ソース(MSN産経ニュース) URLリンク(sankei.jp.msn.com)
写真=江藤淳
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まずは基本的なことから、確認させてほしい。
江藤淳は、文芸批評家だった。20代前半、圧倒的な若さで夏目漱石論を書きあげた江藤が、2年のアメリカ留学を終えて帰国した
のは、昭和39年のことだった。滞在中に『小林秀雄』で新潮社文学賞を受賞した江藤は、30代になっていた。10年に満たないうちに、
彼は文壇の中心的存在にまで駆けあがったのだ。
だから間違ってはいけない、江藤も小林秀雄も、文学から出発したのであって、「結果的に」保守的な発言をしたにすぎない。
その逆は、絶対にない。それを筆者は冒頭で、「基本的なこと」と言っているのだ。
では文学とは、何だろう。それは感受性で言葉を書くということだ。江藤の生涯をつらぬくのは、政治や経済、国際関係から日常生活
にいたるまで、人間が演じるすべての劇を、感受性で批評した点にあった。
一例を挙げよう。私たちにとって「生きる」とは、他人と出会うということに他ならない。難しい話ではない、日常生活を想像してほしい。
私たちは来る日も来る日も、気のあわない人間とともに生活し、気にかけ、比較し、悪口を言いながら過ごしている。つまり「生きている」
わけだ。
この「私」からみて異様な存在、それが他者だ。江藤の漱石論は、この日常生活で誰もが感じる違和感から、出発した。漱石の前には、
西洋文明という普遍的価値観が、襲いかかってきた。それはみずからの考えを正義=普遍的であると信じて疑わない他人と同じである。
漱石は、その他人=西洋文明を前にして、激しく傷ついた。他人のすべてを受け入れれば、自分は壊れてしまう。でも、他人を拒絶する
ことはもはやできない。では、どうすればよいのか-。
こうした他人との齟齬(そご)を、私たちはどこにでも見いだせるではないか。だがそれを、国家同士のかかわり、あるいは文明論に
作品化できる人間はマレなのだ。それが漱石であり、他ならぬ江藤淳その人であった。経験は、誰の前にでも転がっているが、
ただそれを後世に残る言葉にできるのは、感受性にめぐまれた人間だけなのだ。
では日本という国家にとって、他人とは誰か。それはアメリカに他ならない。
江藤は、明治以降のアメリカと日本の関係を考えた。まったく違う価値観をもつ他人を認めず、自己拡張に取り憑(つ)かれたアメリカ。
それに出会ってしまった明治日本。「この崩壊の過程-危機の只中(ただなか)で、日本人はどのように自問したか。それを問うことは、
ほとんど明治以後の文学を問うことである」(『日本文学と「私」』)
「崩壊」と「文学」という言葉に注目すべきだ。文学は、政治経済、あるいは歴史と無縁の、夢物語などではまったくない。自国の文化が
崩壊するかもしれない危機を感じとり言葉にすること、つまり時代に密着し直視すること-これが文学なのだ、江藤はそう考えた。
だから江藤の漱石論、勝海舟論などはすべて、「敗戦論」であり「戦後論」なのだ。昭和20年の「崩壊」を考えるために、書かれた
「文学」なのだ。
政治とは、崩壊を食い止めつづける静かな営みだ。そして勝海舟こそ典型的政治家なのだ、江藤はそう思った。海舟は華やかな
ヒロイズムとは無縁だった。だが周囲の戦後知識人を見てみよ、自分の政治的理想を謳(うた)いあげているだけではないか。
現実を直視せず、理想論にはしっているだけではないのか。
「このようになにをやっても『ごっこ』になってしまうのは、結局戦後の日本人の自己同一性が深刻に混乱しているからである」
(『「ごっこ」の世界が終ったとき』)
これは昭和45年、今から40年以上前の指摘である。私たちはこの嘆きを、古いと冷笑することができるか。ゆたかさの奥に隠された、
「深刻な混乱」を私たちは直視する時代へと、入っているのである。
◇
次回「竹内好」は6月19日に掲載します。
(>>2以降に続く)