14/05/18 20:57:23.12 S+n1VQUA0
●支那人の妄想 「1979年の越支紛争は支那が勝利したアル!」
●支那人の現実:↓(実は大敗)
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ベトナム戦争終了後に突然、中国正規軍60万人がベトナムに電撃侵攻をした。中国軍初の外国軍事侵攻と
いえるものであった。当時のベトナム正規軍のほとんどは、カンボジアで中国左翼のポルポト退治に当たって
おり、国境は手薄の状態だった。
中国正規軍60万人 VS ベトナム民兵10万人
中国軍の電撃侵攻に対抗するベトナムは、正規軍3万と民兵7万人で迎え撃った。戦法はゲリラ戦と敵を奥
に引き込み罠に嵌め十字砲火を浴びせるもの。中国正規軍60万人の戦法は北朝鮮戦で使ったドラや金を
叩き鳴らしながら、一斉になだれ込む古い戦法だった。しかし、米軍と百戦錬磨されたベトナム軍10万人の
戦法は、彼らをはるかに上回る戦術と戦闘能力を発揮していた。中国軍は実戦経験が無いため、一度崩れ
ると一気に敗走、隊は次々と混乱状態に陥っていた。指揮が全く効かない集団と化した所に、集中十字砲火
を浴びせていた。結果として、中国一個連隊約1500人中の生存者は僅か50人程という惨憺たる負けをし
ていた。退却する中国軍の戦車、装甲車、軍用車両の焼けただれた残骸が転がる死のロードは累々と中国
まで続いていた。
中国正規軍は60万人も投入して戦死死傷者が10万人。大量の負傷者を送り返すにも困る事態に陥り、
中国はベトナム侵攻から手を引かざるえなくなってしまった。