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「日本人が見た朝鮮国の風俗・風景」
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明治9年(1876)6月、日本政府は宮本小一外務大丞の朝鮮国京城(ソウル)への派遣を修信使に伝えた。日朝修好条規第十一款に基づき、条規付録ならびに通商章程を協議締結するためである。
宮本小一は、後に「朝鮮政府接遇記略及風俗概要」なるものを提出しているが、朝鮮国の衣食住や人々の風俗がよく描写されており、とても興味深い。
ここでは、さらに日記録である「朝鮮理事日記」と同行した陸軍士官の報告である「朝鮮紀行」文をあわせて、その中から風俗に係る部分をまとめてみた。
絵図写真貼り付けと解説、( )、見出しなどは筆者による。
以下、
宮本大丞朝鮮理事始末 朝鮮政府接遇記略及風俗概要、
宮本大丞朝鮮理事始末 朝鮮理事日記、
宮本大丞朝鮮理事始末 第九號
陸軍士官朝鮮紀行 作成者:陸軍大尉 勝田四方蔵、陸軍少尉 益満邦介
より。
・糞と牛骨が散乱する王城市街
汚水が路の中央に溜まり、牛馬の糞がうずたかく積もり牛骨が散乱している。しかし誰も掃除する者がない。
夏であるから一層臭気を覚える。
普通、朝鮮人民の家には便所がないとも言う。
そのためか、いたる所で糞尿の臭気が甚だしく数万の蒼蝿が舞い、部屋にも満ちて煩わしく、耐えられない位である。
たいていの家に「床」というものが無く、土の上に藁むしろを敷いて座す。
その狭さ不潔さといい殆ど穴居の類である。