14/05/14 17:23:17.85 0
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しかし、時間をかけた取材に基づく関係者の疑問や批判、主張まで「通説とは異なるから」と否定して、
封じてしまっていいのだろうか。東電が1号機の格納容器から大量の放射能を含んだ蒸気を大気中に
放出するベント作業をした後も、住民にそれを知らせなかった。「そうとは知らず、われわれはその放射線を
浴び続けてたんです」と、前町長は作中で訴える。
SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)による放射能の拡散情報が、住民に
伝えられなかったのも事実である。またそれよりずっと以前から、原発は絶対安全だと信じ込まされてきた
というさらに強い疑念がある。それらが払拭(ふっしょく)できない限り、被災者の心の底の不安はぬぐえまい。
素朴な疑問や不安にも、国として東電として、丁寧に答える姿勢が欠かせない。情報隠しの疑念こそ、
風評の温床なのである。 問題提起はそれとして、考える材料の提供である。登場人物が事故と被害を
どう見ていくのか。作品を通じ、作者は社会に訴えようと試みる。行き過ぎはないか。もちろん、過剰な反応も。