14/05/13 14:49:36.54 r572p5vr0
>>426
ホント?
wikkiだけど
現在でも「真田幸村」の名で広く知られているが、信繁直筆の書状を始め信繁が生きていた頃の史料で「幸村」の名が使われているものは無く、
その忌み名=諱=実名においては「信繁」が正しい。
「幸村」の名が見られるようになったのは夏の陣以後で、寛文12年(1672年)成立の軍記物語『難波戦記』がその初出と判明している。
この『難波戦記』が人気を博し流布して広く読まれたため「幸村」名が一般的となったようだ。
時代が下るにつれ「幸村」の名があまりにも普遍化してしまったため、幕府編纂の系図資料集である『寛政重修諸家譜』や
兄・信之の子孫が代々藩主を務めた松代藩の正史にまで「幸村」が採用されている。