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新たな「非識字者」が増えている Facebookを読めても、現実は理解できない人たち
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
「非識字者」とは、読み書きのできない人だけを指すのではない。読み書きはできるけれど、
新聞記事の内容を理解できないなど、満足に使いこなすことのできない「機能的非識字」が存在する。
「非識字者」とは、言うなれば「名前の代わりに『X』で署名をする人」のことを指す言葉だった。しかし、いまやその定義では足りない。
非識字者とは、自分の名前は書けるし、Facebookで近況をアップロードできるけれど、
「社会の中で能動的に活動するため、自身の目的を達成するため、自身の知識や能力を発展させるために、
文章を理解し、評価し、利用し、関与していく能力をもたない人」のことでもある。
最近のOECD(経済協力開発機構)のPIAAC(国際成人力調査)の結果が教えてくれたことだが、2
つの異なる非識字が存在するのだ。後者は「機能的非識字」とよばれ、
イタリアにおいては10人のうちほぼ3人がこれにあたる。そしてこれは、ヨーロッパで最も高い数字だ。
機能的非識字者は自分で文字を書けるのだから、一見、自立しているように思える。
しかし彼らは、例えば保険の約款を理解できない。新聞に掲載されている記事の意味も分からないし、
文章の要点をつかんだり、感動したりすることができない。図表を読み取ることができない。
したがって、自分が生きている社会の構造を解釈し、把握することができない。
このような分析能力では、複雑さを忌避するのみならず、
複雑な出来事(経済危機、戦争、国内もしくは国際政治、金融取引のスプレッド)を前にしても基本的な理解すら得ることができない。
したがって、機能的非識字者は、自身の直接的経験と比較することによってのみ、
世界を解釈する(例:経済危機は自身の購買力の減少でしかない。
ウクライナにおける紛争は、ガスの料金が増加して初めて問題となる。
税金のカットは(それが公的サーヴィスのカットにつながるとしても)正しい)。
そして、長期的な結果を考慮に入れた分析を練り上げる能力をもたない。