14/05/12 10:53:06.45 1gm47d310
>>610
織田軍団は 戦場に押しかけ、勝手に敵地の村々に放火し、百姓の家に押し入って家財を乱妨取りする。
乱妨取りは乱取りともいい、
人の掠奪のほか戦場の物取りをも意味していた。戦場では村の放火と物取りは一体であった。
放火(村や町を焼き払う)・苅田(田畑の作物を荒らす)・乱取り(人や物を奪う)が、織田軍団の作戦の三点セットであった。
信長は乱取りを作戦の重要な一環としたが、そのむやみな暴発を防ぎ、信長の命令の下にどう有効に作動させるかが陣中法度の課題であった。
戦いの勝ち負けにも無関心で、乱取りばかり熱中するのは困るというだけで、戦闘を妨げない限り乱取りは勝手、というのが通念であったらしい。