14/05/12 10:17:48.59 MFJNrVQD0
耳そいだまま市中引き回しとか、今の時代から見ると十分に非人間的だけど、
拷問の歴史を少しでも学べばキリスト教の異端審問と拷問の歴史がリンク
してるとわかる。
一見単純な「火炙り」だって、すぐに死なないように、意識を失わないように、
少しでも強い苦しみを与えた上で、民衆を飽きさせないように長く苦しめる
かが腕の見せ所だったりする。
火炙りは足の裏を火で炙り、煙で窒息させるのが正しいやり方だが、火が弱ければ
盛り上がりに欠け、火が強過ぎればすぐに死んでしまう。
当時は一酸化炭素の存在などわからなかったが、特定の状態の煙はすぐに意識を喪失
させてしまうので適当ではないとか、煙の色や量によっては苦しむ顔が見えないので
多くてもダメだし少なくてもダメとか、昼間の火刑と夜の火刑では使う薪も違うし、
薪の組み方も違う。男女の性別、年齢や体格、罪の重さや教会からの印象によっても
炙り方は変わる。
ぶっちゃけ最期に改心して教会が満足するほどの寄付をすれば、苦しまずに死なせて
くれる場合も無いではない。その場合は家族や親族、同僚などが家屋敷を売り払って
金を工面する。その金で美味い物を飲み食いしながら火炙りにされる人間を眺める。
これがキリスト教における信仰の姿だよ。