14/05/11 23:24:25.20 Wga6seRz0
バテレン禁止令は奴隷貿易の禁止という名目だったが、火薬の代金として売られていたというのも大きな理由でしょうな。
要するに地方大名の戦力拡充を防止するための施策であった。
天下統一目前だった秀吉にとって、地方大名の戦力を縮小しておくことは統一後の豊臣政権の体制づくりのために必要なことで、刀狩令も同時期に発布されている。
この件でちょっと驚いた点は、鉄砲自体は日本で量産されていたということ。
調べたら、鉄砲伝来の翌年に種子島で作られた試作銃が足利将軍に献上され、その翌年には近江(滋賀)で量産体制が始まったそうな。
鍛冶職人の技術力すげぇ、鉄砲の時代が来ると考えた足利将軍すげぇ。
俺の脳内イメージでは、この時代までは土人に毛の生えた程度でしかないと思っていたのだが、見事に覆されますた。orz