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広島県立歴史博物館(広島県福山市)は9日、8代将軍徳川吉宗が1725年ごろ(江戸時代中期)に作らせた地図
「享保日本図」の基になったとみられる測量図が見つかったと発表した。
鑑定した東亜大の川村博忠客員教授(日本地図史)は「享保日本図について書かれた江戸幕府の記録と地図の地名が一致しており、
同時期に作られたとみて間違いない。当時の測量方法を示す貴重な資料」と評価している。測量図は博物館で13日から公開される。
川村客員教授や県立歴史博物館によると、測量図は縦152センチ、横336センチ、縮尺21万6000分の1で、
北海道の南部から九州・種子島までの地名を記載していた。
江戸幕府は計6回、日本地図を作製。各地で書かれた絵図をつなぎ合わせていたため不正確な部分もあったが、
5回目に当たる享保日本図では、和算家が指揮して測量結果をまとめ、今回見つかった図面ができあがったとみられる。
一つの地点を複数箇所から測る「望視交会法」が用いられ、より正確になっているという。
姫路城(兵庫県)から見える六甲山(同)の方角など、全国203の観測地点から目標となる山や港がどの方角に見えるかを測り、赤い線で記していた。
※記事の一部を引用しました。全文及び参考画像等はリンク先の元記事で御覧ください。
ソース: MSN産経フォト 2014.05.09
URLリンク(photo.sankei.jp.msn.com)
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