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ベトナムと中国の関係が悪化したきっかけは、1972年のニクソン大統領の中国訪問だった。
北ベトナムの労働党機関紙「ニャンザン」は、「溺れる強盗に浮き袋を与える」と、真っ向から非難した。
ベトナムは中国に裏切られたと感じた。一方、中国は子分だと思っていた北ベトナムが噛み付いたので、生意気だと感じた。
やがて、中国は北ベトナムに冷淡になった。
1979年1月、アメリカを訪問した鄧小平はベトナムを「懲罰する」と発言した。
近代以前の、この懲罰という言語を批判した新聞はどこにもなかった。
中国はカンボジアのポル・ポトを支援していた。そのカンボジアにベトナムが侵攻した。
ベトナムとカンボジアは、その前年あたりから小競り合いを続けていた。
とにかくベトナムが、自分の子分であるカンボジアに手を出したから、親分である中国がベトナムに懲罰を加えるという意味である。
中国はもともとベトナムを子分と考えているから、よけいに腹が立つのだろう。
懲罰という言葉に、近代以前の中国が見える。
橋田信介 『戦場特派員』より