12/08/07 00:22:25.23 hDMeh5tY
>>172
社会には(明文化されているものから、慣習的なものまでさまざまな)ルールというものがある。
ルールは皆がそれを守ることで皆の利益は 最大になるが、ルールの中には「守ることが自己に
とって不利益なること」 もある。たとえば「赤信号を守る」ということは、自分にとっては早く
横断歩道を渡れないが、皆(公共と言ってもいい)のためにはそれが 一番合理的で、結局、それが
自分にも返ってくるわけだ。
ところが、中には「ルールを守ることで得る利益」と「ルールを無視 することで得る利益」の両方
を得ようとする人間がいるんだな。
それがこのスレで言うところの「女」だ!
女は、男性にはルールを守ることを当たり前のように要求するが、自らは「イイとこ取り」をする
ことをあまりに当たり前と思い、イイとこ 取りが出来ないと「差別された」とわめく。この場合の
「当たり前」とは、「(自分の中では)あまりにも当たり前過ぎて概念さえ無い当たり前」から、
「薄々優遇されてると気づいているが、ダブスタ丸出しの当たり前」や、「“ルールは私が決めた
わけじゃない”という開き直りの当たり前」までいろいろとあるが、要するに、 イイとこ取りが
出来ないと「差別」なんだな。
それに対して男性は「ルールを守った方が、結局、女にとっても利益が最大になりますよ」と主張
しているわけ。
で、ここからが本題。「差別の意味」とは、女がイイとこ取りが出来ないことを「差別」と表現する
ので、男性はそれになぞって「イイとこ取りしようとするのは(逆)差別ですよ」と表現するわけ。
別に「差別」じゃなくてもいい、もし「不当だ」と 言うのなら「そちらこそ“不当”ですね」という
ことになるだけ。先に「差別だ」と主張してるのが 女の側なだけで、「ここに貼ってあるもの」には
前振りがあるということ。