14/07/06 01:39:04.97
>>537
1971年6月17日に東京で沖縄返還協定の調印式が行われたが、琉球政府の屋良朝苗主席は欠席している。
沖縄の行政のトップにいた屋良主席がなぜ調印式を欠席したかというと、「米軍基地撤去」という沖縄側が望んでいたものとは程遠い内容だったから。
当然のことながら、「米軍基地は存続」という内容に沖縄が納得するわけがなく、屋良主席が調印式を欠席したのは沖縄の民意に配慮したからだろう。
それだけでなく、実は、日米間で「秘密協定」というものがあり、朝鮮有事の際は沖縄の基地からの米軍出撃を認めるというものもあった。
第二次世界大戦で多大な犠牲者を出した沖縄では、米軍基地が存続することにより、沖縄が再び戦争に巻き込まれるのではないかと憂慮している人が非常に多い。
昨年の12月、沖縄タイムス、琉球朝日放送、朝日新聞が合同で行った沖縄県民の世論調査では、仲井真知事が普天間飛行場の辺野古移設に「承認するべきではない」とした人は64%に上り、
「承認するべきだ」とした人は22%しかいなかったのは、米軍基地を沖縄に押し付ける日本政府への不信感の表れだったとも言える。