【傑作機か】四式戦闘機疾風Part20【欠陥機か】at ARMY
【傑作機か】四式戦闘機疾風Part20【欠陥機か】 - 暇つぶし2ch485:名無し三等兵
14/08/30 18:26:29.36 1O6FHxuX
紫電がジョージだから、紫電改はジョージ二世と呼ぶべきだ!!

486:名無し三等兵
14/08/31 17:07:38.15 bUSx6bMU
ここまでキングジョージ無し…

487:名無し三等兵
14/09/01 07:31:05.85 KOF6nloj
うん

488:名無し三等兵
14/09/01 07:58:40.13 lYav2YdH
紫電「じょうじ」

489:名無し三等兵
14/09/01 12:41:40.34 KaUfMSXy
情事?

490:名無し三等兵
14/09/03 02:09:34.12 kfPoS4iA
 鉄鋼不足は日本経済の戦争遂行能力に対するあらゆる制限を構成した。しかしながら、日本の立案者達は戦争の経験が立証した
傑出して重要である軍需品の生産は、非常に相当の増加を確保することができた。練習機を含むあらゆるタイプの航空機生産は、
1942年夏の月産700機から1944年9月の2572機にまで上昇した。航空エンジン生産は機数に対応して増加したばかりでなく、
平均馬力が二倍になった。機銃、対空砲、弾薬の生産は10倍に拡大した。レーダーと通信装備は5倍に上昇した。鋼鉄の最も
重要な消費者は、造船産業だった。日本の船舶事情のますます重大な性質は、艦艇と商船の造船計画を拡大させ、全ての鉄鋼消費
の35%が造船産業だけに使用されることになった。商船の建造は1941年の約238000トンから、1944年には鋼船1600000トン、
木造船254000トンまでに増加した。1942年中、64000トンの戦艦一隻と合計84000トンの小型空母6隻を含む軍艦が引渡された。1944年、
戦艦はなかったが、114500排水トンの空母4隻と141300トンの護衛艦と潜水艦が引渡された。高い優先順位の項目の生産増加は、
戦車、大口径砲、トラックのような優先順位の低い項目への利用鉄鋼の縮小を意味し、民間需要、建設あるいは輸出に対する鉄鋼
のほとんど完全な削除を意味した。
URLリンク(www10.ocn.ne.jp)

491:だつお ◆t0moyVbEXw
14/09/03 09:37:32.40 gyMVeph8
 31回の空中戦で、フライングタイガーの志願者は5機ないし20機のP-40型戦闘機をもって217機の敵機を撃墜し、
みずからの損失はわずか14機だった。それ以後、「中国空軍所属の中国援助アメリカ志願航空隊」はフライング
タイガーのマークを使い始め、そのサメの頭の形をした戦闘機も世に名を知られるようになり、「フライングタイガー」
というニックネームも知られるようになった。抗日戦争が終わるまでに、フライングタイガーは敵機を2600機撃墜し、
積載量223万トン相当の船舶、軍艦44隻、100トン以下の内陸河川の船1万3000隻を撃沈するかあるいは大破させた。
また日本軍将兵6万6700人を撃ち殺した。フライングタイガーの隊員のほとんどは中国政府から賞を授与された。
10余人の飛行士はアメリカ、イギリス政府から飛行十字勲章を授与された。

対中援助に寄与したアメリカの「フライングタイガー」
URLリンク(japanese.china.org.cn)

492:名無し三等兵
14/09/03 10:21:15.31 MslKC32x
三行で

493:だつお ◆t0moyVbEXw
14/09/03 10:28:34.50 gyMVeph8
欧米では日露戦争は米英の亜流、太平洋戦争はドイツの亜流とみなされる傾向があるが、
この『大陸打通作戦』は何の亜流でもない、正真正銘の日本軍大勝利。いくら旧日本軍の悪口並べてみても、
日本軍は中国軍に対しては終戦まで圧勝状態で、支那派遣軍百万の精鋭健在。

ナチスドイツとその愉快な仲間たちを撃破してベルリン入りを果たしたソヴィエト赤軍>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>( 越 え ら れ な い 壁 )>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>大陸打通作戦でドツキ回された中国チンピラゴロツキ

この図式は絶対に動かない。南京大虐殺だ性奴隷だを言えば言うほど、終戦まで旧日本軍の尻に敷かれてた
惨めな惨めな中国人という史実が浮き彫りになる。ロシア人はドイツ軍に大量虐殺されたけれども、最終的には
見事に敵を打ち破ってベルリン入りを果たした。中国抗日戦争はソ連邦大祖国戦争の超劣化版といわざるをえない。

 一九四五年の初め、エドガー・スノーとのインタビューで、ルーズベルトは
「カイロでは、蒋介石についての私の見方を形づくることはまったくできなか
った。あとから考えてみると、彼について私が知っていることといえば、すべて
夫人が蒋と彼の考え方について述べたことばかりである」と、告白している。
<S・シーグレーブ「宋王朝」P258>

中国抗日戦争の虚構は暴かれた。あの親中反日のルーズベルトでさえも、考えを変えた。彼の考えを変えさせたのは、
まさしく皇軍の大陸打通作戦だった。大陸打通作戦を指揮した岡村寧次大将、大陸打通作戦に参加した皇軍将兵、
大陸打通作戦の補給活動をした皇軍車両、大陸打通作戦を進撃した97式中戦車チハ、大陸打通作戦のエアカバー
を果たした四式戦疾風、みんなみんな世界中に自慢できる日本民族の誇りだ!

朝鮮戦争で中国チンピラゴロツキも撃破できなかった米軍が
スレリンク(army板)

たかがチンピラゴロツキ、されどチンピラゴロツキ。米軍はその「チンピラゴロツキ」相手に大苦戦ww

494:だつお ◆t0moyVbEXw
14/09/03 11:00:39.34 gyMVeph8
>>490
>1942年夏の月産700機から1944年9月の2572機にまで上昇した。航空エンジン生産は機数に対応して増加したばかりでなく、
>平均馬力が二倍になった。機銃、対空砲、弾薬の生産は10倍に拡大した。レーダーと通信装備は5倍に上昇した。

これこそが大陸打通作戦を支えた皇軍兵器の真実だ。

>>491
>抗日戦争が終わるまでに、フライングタイガーは敵機を2600機撃墜し、積載量223万トン相当の船舶、軍艦44隻、
>100トン以下の内陸河川の船1万3000隻を撃沈するかあるいは大破させた。また日本軍将兵6万6700人を撃ち殺した。

そのままを、全世界に向けて発信したらいい。

495:名無し三等兵
14/09/03 14:15:52.01 Otgpqhj9
>>492




496:名無し三等兵
14/09/03 18:49:37.07 XZfzWfaN
>>492

戦果
水増し
マシマシで

497:名無し三等兵
14/09/07 09:25:56.99 QyB2CX2f
 日本軍の航空用送信機および受信機は、頑丈かつ簡潔に製作され、仕上げおよび
材質は優れている。整備性の難易度よりも、簡潔な設計により多くの配慮がなされ
ているようである。多くの場合、機器はそのように設計されている。いくらかの
真空管には取り外しを容易にするため、皮製の把手が付いていることが言及され
ている。日本製の機器には大量のアルミニュームを使っているので、嵩張った機器
さえ異常に重量が軽い。防錆および菌類に対する予防対策はとられていないが、
1940年以降に作成された機器は、それ以前の形式よりもはるかに優れていると報告
されている。新型無線機器は、電気的および機械的に連合軍の水準に近づいている
ようである。
 日本軍の飛行機は、すべて無線機器を搭載しているとは限らないことが知られている。
無線方向探知機が中・重爆撃機では標準装備であるのに対し、通常、戦闘機に無線方向
探知機が搭載されているという報告はない。
 いくらかの零式戦闘機(ジーク)には、全部または部分的のいずれかであるが、米国製の無線
機器が搭載されていたことが判明している。部品の大半は日本製であるが、構成部分がドイツ製
または英国製であることも言及されている。米国およびドイツ製の寸分違わぬ模倣も報告されている。
実際のところ、すべての装備は手作りで、出来栄えは良好であった。大部分の無線機器では送信機
および受信機の周波数を制御するため、良質の水晶片が使用されている。

(日本陸軍便覧 米陸軍省テクニカル・マニュアル1944 米陸軍省編 菅原実訳)

498:名無し三等兵
14/09/07 09:32:30.79 QyB2CX2f
 魚群探知機に至る着想は、清孝と一人の船頭の出会いから始まる。1943年ごろ、船上での電気工事をしていた
清孝は船頭から「泡の出ているところには、魚が沢山いる」という話を聞く。終戦直後の1945年12月、清孝は「泡の
出る場所」を科学的に特定することで魚を探す手法の探索に着手した。
 清孝は超音波理論を応用することで、魚の場所を特定しようと考えた。海軍の放出物質の中にあった音響測深機
を手に入れ、実験を開始した。ほぼ一年をかけ、音響測深機を改良することで最初の魚群探知機を完成させた。
最初の実験は1947年4月、長崎県の五島灘で行われた。船の走航による雑音が大きく影響するものの、
こうした雑音さえ除去できれば、魚群探知機を用いて魚群を探知できることが確認できた。
URLリンク(koueki.jiii.or.jp)

499:名無し三等兵
14/09/07 17:01:01.99 FObGRtvn
ゲームボーイのポケットソナーがあれば、
対潜水艦戦は完勝だったのに。。。。

500:名無し三等兵
14/09/08 00:17:27.82 qvAj0N0A
500

501:だつお ◆t0moyVbEXw
14/09/09 11:16:02.13 DhJbl19W
>>30
>もっとも疾風は米でレストアしなければまともに飛べなかった
>エンジンはオーバーホールレベルでは使用不可、ひどい品質だった

米戦略爆撃調査団報告書では、戦時中に日本軍機の品質は改善されていたとのことだが?

 初期の日本の攻撃時、日本の戦闘機は、アメリカ戦闘機より頑丈な構造でなく、より傷つきやすく、
火力の点で弱かったけれども、太平洋で利用可能だったアメリカの戦闘機より特定の飛行特性は優れていた。
日本は戦争中彼らの航空機の品質を改善し、航空機エンジンの推力を多いに増加して、最終的に火力で
アメリカ戦闘機を上回り、終戦時、設計と実験段階で第一級の航空機を持っていた。しかしながら、航続距離、
性能、耐久性を増した信頼できる航空機の大量生産でアメリカに匹敵する広範囲な技術と工業的熟練に欠けていた。
初期の作戦以降、アメリカは常にその航空機の全面的な優性を享受した。アメリカの基準に照らし、日本は、
十分な整備、兵站支援、管制・通信、多数の航空機を取り扱うのに十分な飛行場や航空基地の重要性を充分理解
していなかった。結果として、彼等は、いかなる時、場所においてもその航空戦力の大きな割合を集中させることが
できなかった。いかなる程度の効率をもってしても、空中での大編隊を管制する能力を有しているように思われなかった。
URLリンク(www10.ocn.ne.jp)

>終戦時、設計と実験段階で第一級の航空機を持っていた。しかしながら、航続距離、
>性能、耐久性を増した信頼できる航空機の大量生産でアメリカに匹敵する広範囲な技術と工業的熟練に欠けていた。

工業化が遅れていたというのは一面そうだったにしても、空母機動部隊を実戦運用できたのは日本のほかは米国だけ、
日本よりも工業化が進んでいたとされるソ連やドイツでさえ、空母なんて実戦運用どころか試作にさえ至ってない。

502:名無し三等兵
14/09/09 12:42:13.70 FOGR170q
必要性の薄いものに時間と金はかけんよ

503:名無し三等兵
14/09/10 12:20:33.22 Y21vS/xr
>もっとも疾風は米でレストアしなければまともに飛べなかった
>エンジンはオーバーホールレベルでは使用不可、ひどい品質だった

違うだろw
その疾風を購入して日本で飛ばした人は
よくこんなんで飛んでたなというひどい状態だった
と言ってたそうじゃん

504:名無し三等兵
14/09/11 09:28:17.38 EGyDg3nI
「飛行可能な疾風」は、イギリスの好事家が極めて私的に飛ばしてたもので、
いざ陸軍航空隊でパイロットやってた日本人が引き取ってみたら機体中ガッタガタ。
「飛行可能」っていうのがそもそも嘘。
それでも引き取ったパイロットの超技量で飛ばせたが、
そのパイロットが亡くなってしまうともう誰も飛ばせるものはいなくなり、展示用になっちゃったとさ

505:名無し三等兵
14/09/11 09:39:54.63 EGyDg3nI
あと根本的にイギリスのほうが飛行基準がゆるいっぽい


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