【傑作機か】四式戦闘機疾風Part20【欠陥機か】at ARMY
【傑作機か】四式戦闘機疾風Part20【欠陥機か】 - 暇つぶし2ch1:名無し三等兵
14/02/06 20:17:15.32 bSEpY49x
【四式戦闘機】疾風 Part19【日本最優秀】
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猛威をふるう85戦隊の「疾風」
<中略>(「陸軍戦闘隊撃墜戦記〈2〉中国大陸の鍾馗と疾風 梅本弘」62ページから引用)
 10月末、同じく二式単戦で編成されていた9戦隊の1個中隊が広東に移動、同地区の防空戦力は大いに増強された。
10月31のB-24、13機による香港空襲以来、11月上旬から中旬は85戦隊の防空担当である広東、香港方面の空襲は途絶え、
戦隊は戦力回復を進めることができた。11月13日、85戦隊の保有機は二式単戦17機、四式戦10機、計27機まで回復していた。
この頃、中国の陸軍戦闘機隊は消耗甚だしく、25戦隊は一式戦9機、四式戦3機を保有、9戦隊は二式単戦がわずか5機、
衡陽で大打撃を受けたばかりの48戦隊にいたっては一式戦2機を保有してたに過ぎず、85戦隊は当時、最大かつ最強の
戦力を保っていたのである。
 一方、4日の空戦でP-51を一挙に4機も失った第76戦闘機隊にとっても10月は厳しい月で、この一ヶ月間の戦闘と事故で
22機のP-51と10名もの操縦者を失っていた。

事故による、敵の要撃による、そして成都前進基地への日本軍の空からの攻撃によるB-29の
損失はもはや見過ごし得ず、1944年の終りには147機に達した。
<中略>
マッターホルン作戦では49回の作戦任務を実施し、航空機の出動数は3,058ソーテイであったが投下した爆弾は
ただの11,477トンであった。この作戦に膨大な努力を傾けたわりに、日本の目標に与えた損害は僅かであった。
URLリンク(www.ne.jp)

44年 4 月30日現在の配備機数は,偵察機10(P38),戦闘機294(P38,P47,P40,P51),
爆撃機168(B24,B25)の472機であり,重慶空軍233機と合わせて705機と判断されていた。
当時の日本の第5 航空軍の出動可能機数は約230機であり,彼我の戦力比は約 3 対 1 であったという。
URLリンク(www.ritsumei.ac.jp)

Month    Fighters  Medium Bombers   Heavy Bombers
October     457     105           45
November    535     109           47
URLリンク(www.ibiblio.org)


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