14/05/20 23:50:53.82 pyafjr3G
まさかのマジラス
そんなメモ書き程度に戦いを挙げられてもねぇ・・
120:名無し三等兵
14/05/25 00:45:08.49 +tYFloB+
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
121:ウルティマ・ジャポネーゼ
14/05/31 10:54:58.20 pWkwO+16
ロマノ・ヴルピッタ「ムッソリーニ」 、1944年12月16日、ミラノのリリコ劇場におけるムッソリーニの演説
「 遠くて近い日本について話したい。旭日の帝国が負ける事なく戦い抜く事は、確信と言うよりも疑い得ない事実である。
(中略)日本の意思と魂を示すのは、死を覚悟した特攻隊の存在である。
数十名規模ではなく、何万人もの若者たちが、「一機以て敵艦一隻」を合い言葉にし、それを実行する。
(中略)共和国イタリア人たる我々にとって、世界の感心感嘆を得ている天皇の陸海空の兵士たちが、誠実で我々に理解を示す仲間として共にあることは誇りである」
それについて、ムッソリーニはエチオピア戦争の際、イギリスとの戦争に至った場合に備え、
イタリアでも英艦隊を標的とした決死の特攻隊が結成されたこと、
名簿の筆頭に志願したのが当時の空軍司令官バルボであることを初めて明かした。
「さて、もしいずれか、このような特攻隊を作る時が来たならば、
もし我々の血脈に古代ローマの戦士の血が未だ流れていることを証明すべき時が来たならば、
国民に対する自分の呼びかけは無駄になるのだろうか?」
と問いかけた時、「否!」と答える聴衆の叫びが会場に響きわたった。
ムッソリーニと群衆との対話が復活したのであった。
↑\[^ム^ ] ♪ヴィンチェーレ! : ワシの上記の演説は、CDにもなっておる。
写真も《Brigata Nero》紙のものや、ネオファシスト同志の絵葉書にあるゾ!多分これの映像もあるはずだ。
なお、ワシが国民大衆の前でやった最後の演説は1945年3月か4月にやったもので、これの映像もある。
122:名無し三等兵
14/05/31 14:51:02.84 t+6drYhb
>>119
>>タラント空襲(1940年11月11日~12日)の直後ですら
て書いてるのが読めないのかこいつ
123:名無し三等兵
14/06/03 11:02:57.70 zq6PiwaA
[大日本帝国海軍の不幸]
第一次大戦以後、ろくな海軍力も持たなかったソ連、中国、独、伊、仏相手では
戦ってもポイントが稼げなかったので強大な海軍力を持つ英、米を敵として
大日本帝国海軍としては先輩の『胸を借りる』積もりだったのでしょう。
しかし、英米の両者が結束したら日独伊がまともにぶつかっても勝てる見込みは薄く
事実二年先行していた欧州大戦では独海軍は多少なりとも健闘したものの
伊海軍はからきし駄目で、ソマリア、リビア、ギリシャで負け続けました。
残念ながら、日本海軍もミッドウェー海戦までは余裕がありすぎてまともに戦っている感じがせず、
ミッドウェーに向かう連合艦隊などは乗組員に海上勤務手当を出すための一大観艦式のような陣形でありました。
(^_^;)日本が参戦する前から負け続けてるイタリアって…
124:名無し三等兵
14/06/03 18:46:51.38 t4F19SfK
独海軍は真珠湾攻撃前にすでにノルウェイで駆逐艦全滅しているし、
重巡洋艦も、軽巡洋艦も、戦艦も撃沈されまくってるだろ。
125:ムッソリ-ニ『全体への闘争』より
14/06/03 19:23:07.70 zq6PiwaA
余は敢えてイタリア国家ならびに国民の下僕であることを宣言する。
余はすべてのイタリア人が余の真意を了解し余を愛さんことを望むのである。
何等の弱みなしに、脱線なしに、毫も私情を挟まず、
公明正大の心をもって、満腔の信念を持つものこそは、
必ず期せずして国民的敬愛の的となるべきに相違ないことを余は堅く信ずるものである。
それだから、余が既に成し遂げたところを顧みて、
ファシズムは、イタリア人の創造であり、
既に歴史的必然性にも自ら適い、また今後とても適わんとするものであり、
その思想は必ずや二十世紀の歴史の上に不磨の印象を与うべき運命を担っているものなることをも、
明らかに知るわけでもある。
126:名無し三等兵
14/06/03 22:31:44.37 VQFM/DjI
ヘタリア人劇弱プゲラッチョ