06/07/15 23:42:17 aO8gdSns
> それに対して、件の本が著作権法違反で訴えられたとしたら「著作物を利用した」
>という事実は争いようがない。したがって争点は「適切な引用か否か」というところしか
>ありえない。
私もそう思います。
>適切な引用か否かの判断は >>40 に挙げた要件を満たしているかどうかで判断される。
>件の本の場合は表紙にジャケ写を使うことが「必然性を欠く」と判断される可能性が高い。
本の表紙にアーティストの肖像入りのレコードジャケット写真を使用しても
当該アーティストのパブリシティ的価値 を利用したとは言えないと、
東京高裁知財部が 判断しているのにもかかわらず、
同じ事例で著作権においては著作権違反と判断すると考えるには、
よほどの強い根拠がないと、そう言えないと思いますが。
本の表紙にジャケ写を使っていること自体をもって『引用』に
自動的に該当しないというのはかなり形式的なところで思考が止まっている感があります。
なぜなら、公正な『引用』にあたるか否かの判断は、まさにパブリシティ権侵害の判断の場合と同じく
著作物の顧客吸引力を主眼として利用されたものかどうかによって
実質的に判断されるからなのです。
本の表紙にジャケ写を使っていれば、
自動的に『引用としての必然性を欠く』というのであれば、
むしろ、本の表紙に肖像入りジャケ写を使っていれば
『当該アーティストのパブリシティ価値を利用したといえる』
という判断が高裁で下されてないと不自然といえましょう。
民法上の人格権を基礎におく肖像権のひとつであるパブリシティ権が、
著作権よりも、他人の無断使用により譲歩しなければならない理由は見当たりません。
なぜなら、人格権は成文法の民法がなくとも私法上、また憲法上当然認められる権利ですが、
(因みに、人格権という概念は民法の条文上存在しない)
著作権は成文法である著作権法が存在して初めて認められる権利だからです。
著作権法を廃止しても、憲法29条1項違反にはなりませんが、
私法上の人格権を廃止するという法律は、憲法13条違反もしくは29条1項違反となるでしょう。