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白人は、世界の人種の中でもまれに見る、コンプレックッスを持ちやすい性格である。それは偏
見的な人種の特徴などではなく、根底に有るのは西洋周辺の歴史そのものが産み育てた物。ローマ
時代の少し前。当時は、いずれヨーロッパの食卓の基礎を産む事になるローマ帝国=イタリアの宮
廷料理も出来ておらず、これを根底としたフランスやイギリスなども当然ナイフやフォークなどと
言う、優雅な物は使わず(発明されて居なかったから)王族ですら手で飯を食らっていた時代であ
る。その頃は白人よりも、中東やアラブやアフリカなどの、周囲の人間達の方が圧倒的に多く、そ
して強く、むしろ植民地時代に彼等が行って来た事とまったく同じ事を周囲の人種にされてきたの
である。そんな生活から脱却するためにこそ、彼等は急速に発展した訳だが、現在の彼等を知るに
は根底にその時代に彼等が抱いた、強烈な感情の存在を忘れてはならない。
彼等は一度摘と見なした相手は、見ているこっちが哀れに思うほど荒々しく、激しく、呼吸を乱
しながら、時にはむせびながら、執拗に、そして必死に叩いて叩いてたたき続け、相手を完膚なき
まで屈服させるまで辞めないし、そこまでしないと本人の気がすまないのである。精神に詳しい人
なら分かると思うが、それはまさにコンプレックスの思想と同じなのである。しかし時代が違う彼
等が、何故今も尚、生まれながらにしてコンプレックスを持ってしまうのか。それは親から子へと
綿々と受け継がれて来た、彼等ならではの精神教育にこそ原因がある。自由の無い植民地時代、食
べる物もない砂漠の大地で、彼等は少しでも他人より生きながらえる為に、自分を際立たせる術を
身につけて来た。苦手な相手の言葉を遮る事もそう、相手より大きく見せる身振り手振りが発達し
た理由も同じ。家の中や町中で、少しでも相手を潰すため、そして勝るために、有利である様にと
まるで芥川龍之介作の「蜘蛛の糸」の亡者を彷彿とさせる生き方こそが、当時の彼等にとって必要
な生き方であり、これらの呪われた習慣がいずれ、やがて現代世界の競争原理へと発展していくの
である。
かつて彼等は、外からうけたストレスを自国の人間同士に発散し、力を蓄え他国に向け、その内
人種を越えて、世界に向かって発散させて来た。しかし彼等のエゴイズムの根底にはその頃植え付
けられたコンプレックスが今も尚存在し、悠々と横たわっているのである。
コピペだが、こうゆう発言がレスが400越えているのに無いのはなぜだ。