【ファビョなって】悪質業者dostore Part120【降臨2】at YAHOO【ファビョなって】悪質業者dostore Part120【降臨2】 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト274:懐疑論とその限界 ◆vWilh8Qklc 09/03/27 15:05:03 pZY72OUg0 (4b) 懐疑論は徹底的に懐疑することを標榜している。そして、徹底的な懐疑は、結局「~とは何か」という問いに収斂する。むろ ん他の種類の問いもあるが、1つずつすべてを疑っていくという立場では、その疑問文で扱われているすべての語が分からないという前 提のうえで議論が開始されるはずであるから、結局は左の問いの形に落ち着くことになる。しかし実際には、「何」という語、「~と は何か」という文法、さらにはそもそも「疑う」という語、「分かる」および「分からない」などの、懐疑論の出発点において必要と なってくる基礎的な語についても分からないのである。したがって、他の何にも依拠しないという無根拠の状態からでは、思考を開始 することができない。すなわち、懐疑することができるには少なくとも「何」を初めとするいくつかの語やそれらの語を使用するため のいくつかの文法を独断的に前提せねばならない。このことから、言語は「独断の共有化」、「共有された独断」によって成立してい ると言える。 これは(4a)とも密接に関係しているが、問題は日常言語がどこまで効いてくるかということであると思う。より具体的には、日常言 語が独断から逃れられないとするならば、演繹という語が日常言語である以上、演繹それ自体もまた独断により成立しているというこ となのか、それとも演繹という語とその語によってわれわれが想起している関係性それ自体〔論理的関係性〕は独立に存在することに なるのかということである。また、後者の考え方がただ1つの立場からのみ言われるもの(具体的に想定しているのは真理の対応説)で あるかどうか、さらにはそもそも具体的にいかなることを言っているのかも分からない。 (5) この懐疑論の最後の部分では単線的決定論と素朴な非決定論の対立という二分法が持ち出されているが、決定論と非決定論の両 方についてそのほかのバージョンの有無が検討されていない。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch