09/07/24 13:01:29 am61ZKyh0
>>654-655
後から留保をつけていますが、哲学屋や哲学をかじった人間にありがちな、
ギリシャ起源説と歴史の忘却にすっかり毒されすぎてると思いますよ。
>>654
> >>653
> 芸術はイデアの模倣に過ぎないとして、
> プラトン自身が芸術に対して一般に否定的な態度をとったのは事実だとしても、
> 彼から分離的概念が始まったとするのが美学史上の通説だよ。
19世紀や20世紀前半ならともかく、21世紀の現在の美学史の教科書で、
「天才」概念の比較的遅い成立について触れていない本なんてあるの?
(言うまでもなく、技術知とは独立した近代的な意味での芸術としてのarsは、
そうした一連の概念なしには成り立たない)
それに、今時の美学史の教科書で「芸術ars」という概念が
かなり遅くまで、技術知としての広い意味を持っていた事を書いていない本なんて知りません。
もしかしたら、不勉強な作者が今でもそういう本を書いていて、あなたはその犠牲者なのかも知れませんが
19世紀ぐらいの美学史や芸術学の通説ではあっても、20世紀後半以降の通説じゃないでしょ。
最近の教科書なら、普通は、古代と近世の違いを嫌なほど強調してるよ。
それに、そもそも、648の話は、655で自らアカデミーの話を引いているような、もっと具体的な場面を考慮した話でしょ。
「独創性」や「天才」という概念が練り上げられて、「芸術家」が誕生するのは16~17世紀以降の話だし
648が書いているような、ゴッホなんかの日本での「天才信仰」に関しては
648が「現代」という言葉でいつの時代を思い描いているか知らないけれど、明治からあるにせよ、
メディア的に再生産され続けている、かなり現代的な現象であるのは確かでしょ。
> ここでプラトンが需要なのは、イデア(真実在)の超越性を唱えたことと、
> そこに模倣とはいえ芸術(技術)を含めたというところにあるんだよ。
> 簡単に言えば、美のイデアという概念を成立させたのは彼だと言っていい。
話が大雑把すぎます。
やがて中世に存在論的・神学的に展開されるような「美」についてのプラトン的な議論における
「美」は、そもそも、後の感性的なモーメントを中心とする「芸術作品」美とは直接はつながらない。
つながるように錯覚するのは、ルネサンス以降の新プラトン主義者たちが、そのように解釈しなおしたから。
アリストテレスにおいても、テクネーは、技術(知)であり、今の意味での芸術にかろうじてつながるのは
その一部に過ぎません。
第二に、プラトンが語るような、真なる美に到達するような芸術としての真の詩作は、
テクネー(技術であり芸術である技芸)を超えたものとして神からのインスピレーションによるものと定義されるのであって
後の意味での芸術と美の関わりとは全く違うでしょ。