09/06/30 04:49:10 nXsnkP+j0
>>841
ああ、あんた>>812のブログ主かな?w
ベンヤミン好きなんだな。
ベンヤミンの考察は素晴らしいとは思うが、69年前に亡くなっている彼は、ミクのような存在を想定することが出来ただろうか?
1940年以前には、虚像と言えども「身体性と結びつかない」ものは存在しえなかったので、彼の考え方は基本的には正しかっただろう。
だが結局、「複製技術の登場によってアウラが喪失される」という考えもまた完全ではなかったということではないか?
実体がない故に、ミクの価値は「イメージの増幅や独り歩きそのもの」であると言えるのではなかろうか。
つまり、実体があるために複製技術によって有限の価値を削ぎ落とされていく今までの虚像とは異なり、イメージの増幅や独り歩きで
無限の価値を臨機応変に構築する虚像、それが初音ミクなのだと。
>従って、モト記事は何の補足のつもりかしらないけれど、これを持ってきたことで全部の趣旨を台無しにしてる。
>ということだよ。いやその実体論をベンヤミンは否定してるんだ、と。
ベンヤミンに過剰反応しすぎだな。
トラックバック元のブログ主は、現代の「送り手の想像力を受けたひとびとが次の送り手となるという状況」を、「読者は、つねに執筆者になりうるのである。」
というベンヤミン言葉を引用して、情報技術やその発信者の変化を経験したかつてのヨーロッパと比べているだけだろ。
この引用はヨーロッパで実際起こった変化についての記述であって、あんたが主張しているベンヤミンの論考の主題は関係無い。
>複製技術時代の芸術は身体性のあるなしが問題ではなくて、そのイメージャリィの「所有権」が
>問題になるだろ、と述べているわけで、これは基本的に正しい。
法理上の所有権と創作活動はリンクしているわけではない。
ミクに実体がない以上、所有権を持つ者が主体としてアイデンティティを主張しても、イメージの共有者達はそれを無視することが出来る。
クリプトンにとって(というか万人にとって)ミクのイメージがアンコントローラブルなものであることは、クリプトン自身がよくわかってる。