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STLのアーキテクチャの多くはアレクサンドル・ステパノフという一人の人物の手によって作られた。
1979年に彼はジェネリックプログラミングの初期アイデアを練り始め、そしてソフトウェア開発に革命をもたらす可能性を探究し始めた。
当時はジェネリックプログラミングを実際にサポートしているプログラミング言語がまだなかった。
1987年までにステパノフとマッサーはジェネリックプログラミングの研究成果としてAdaのリスト処理ライブラリを開発してリリースしていた。
しかしながらAdaは軍需産業以外ではあまり普及しておらず、
C++は当時まだ言語として未成熟ではあったものの(テンプレートはまだなく後から実装された)
より広く普及してジェネリックプログラミングの良好なサポートが提供される可能性が高いと考えられた。
ベル研究所のアンドリュー・コーニグがこの動きを察知して、1993年11月のANSI/ISOのC++標準化委員会に
アイデアを提出するように求めるようなことがもしなければ、この作業は間違いなく、さしあたっては研究プロジェクトとして、
あるいはヒューレット・パッカード研究所のプロプライエタリなライブラリとして継続されたであろう。
提案は委員会で全面的に賛同を得て、すぐさま1994年3月のミーティングでのコーニグからの正式なリクエストへとつながった。
Standard Template Library - Wikipediaの抜粋
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