08/12/22 23:21:30 QO6I+2b30
>>169の続き
罪の意識はあるのだから、罰する者がいるのなら罰すればいい。
そもそも私を捕まえられない者が愚かなのだ。
速度違反しかり、恐喝しかり、器物破損しかり、全て現行犯逮捕以外には物証なり証言なり、ややこしい手続きが必要だ。
理不尽な世の中だからこそ、リスク管理が必要なのだと私は思う。
世の中善人だけではない。価値観や常識が異なる人間は星の数ほどいる。
その中でどのようにルールを作り、どのように強制させるのか。
未だ法には曖昧な線が無数にある。
権利が正しく行使されていなかったり、義務を放棄したり、法が無視されていたりする。
そんなあやふやな社会の中で我々はどう生きていくのか。
自分を守れるのは自分だけである。
私は保険というものが「好き」ではない。
お金で解決できるものは山ほどあるだろうが、保障はまた別物だ。
たとえば、自動車事故。
お金でクルマは修理できる。
新車を購入することも出来るかもしれない。
しかし、自分の愛車は?
二度とは戻ってこない。
共にした年月、思い出、全ては戻ってこない。
わかるだろうか。
そう、人も同じ。
大切な人を失い、目の前には数千万。
あなたは受け取れますか?
大黒柱が倒れ、保険金を生活費に当てたところで悲しみは絶対に消えない。
保険のシステムはわかる。
一人は大勢のために、大勢は一人のために。
お互いを助け合っていく相互扶助の仕組み。
素晴らしい文化である。
しかし私は、保険は人のために存在する性質をもつがゆえに
最終的には自分が得するものだと考えている。
それも精神面で。
安心を買うのが保険。
矛盾していることに気がつきませんか?
つまりは目先のお金の支払いに意識が飛ぶあまり、将来事故が起きたときの自分の気持ちが、心情が、生活が、理解できていないのです。
「保険に入っていて安心だったわ」
よかったですね。
掛けたのは貴女ですか?
ご主人に?
ご主人も喜んでいるといいですね。
保険はリスクを分散させる手段の一つです。
くれぐれも本質を見誤らないように。