08/05/14 08:18:31 QYftod8R0
>>742
○明治39年当時の鮎川漁民、鯨の解剖による地先海面の汚染を恐れて反対した
東洋漁業が進出したころは、鮎川の漁民は小漁や採貝藻によって生計を支えているものが多く、鯨の解剖
による地先海面の汚染を恐れて反対した。当時の村長が鮎川浜の発展を考え、捕鯨事業の何たるかを知ら
ぬ漁民を熱心に説いて廻ったり、又東洋漁業も年額三百円を村の基本財産に寄付することを申出、ようや
く事業所の開設にこぎつけたようである。今私が沿岸小型捕鯨再開にむけて走り廻る姿と対比して見ると
今昔の感にたえない。勿論その頃の役場の記録を見ると明治38 年度の村の予算は二千六百三十二円で 39
年度三千二百四円で40 年度八干百七十一円と飛躍的に増加した事を考えると、いかに鯨が村の経済をうる
おしたかが想像される。勿論従業員をふくめた他県からの流入があり人口が急増した事は当然である。大
正、昭和を通じて、南極捕鯨の乗員として多くの町民が参加し、まさに捕鯨一色にこの町が発展したので
ある。しかし、昭和27 年日本水産が女川へ、大洋漁業、極洋捕鯨が塩釜へと交通不便から工場を移転し、
さらに昭和63 年、商業捕鯨禁止と、いわゆる鯨城下町がかつて一万三千人いた町民が現在七千五百人と、
さらに過疎が進む中で観光の町へ脱皮をはかりながら小型沿岸捕鯨再開こそ、この町の再生のカギになり
そうである。ご声援の程を。
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