07/07/28 18:39:11
横浜市鶴見区の男性(31)は昨年冬、六年間続けたIT(情報技術)関連の派遣の仕
事を辞めた。
「辞めたというより、激務と心労で体が動かずうつ状態になり、仕事に行けなくなって
しまった」と男性は振り返る。プログラマーとして、朝七時から午前零時まで、派遣先
の会社でシステムのプログラムやテストをこなした。家に帰れば、疲れた体を一刻も
早く横たえるだけ。二-三カ月の派遣期間の合間は、求職活動と工事現場などの肉
体労働でつないだ。
過酷な生活にもかかわらず、この六年間の年収は百五十万-二百万円。実家暮ら
しのため、月五万円を両親に払うと、手元に残るのは多くても月十万余。たった三万
円の月もあった。「貯金はなし。国民健康保険料も払えず、十割負担になった持病の
通院費も出せなくなった。情けなかった」
働いても金はたまらず、いつ首を切られるか分からぬ不安は募るばかり。この生活
が五年ほど続いたころのある朝、体が動かなくなった。起きたくても起きられず、「明
日は仕事に行こう」と思いながらも結局布団で過ごす日々が続く。外に出られず、人
と話せなくなった。ついていないはずのパソコンのスイッチを何度も消して気づいた。「
おれは病んでる」。しばらくして、派遣元の会社から電話があった。「もう仕事を回さな
いから」。この一本で仕事はなくなった。
そもそも、男性はこの会社の正社員だった。ある日突然、派遣になるよう雇用契約
の改定を求められ、嫌がらせ同然の処遇を受けた末にやむなく決断したのだ。「労基
署にも何度も行ったが、相手にもされなかった。同年代の派遣仲間もみな同じような
状況に陥っている」。誰も助けてくれないまま、徐々に社会から排除されていく孤独に
おびえたという。
男性はいま、生活保護を受けて暮らしている。投票にはもちろん行く。「これしか自
分の意思を示せない。何もしないで政治が自分たちを追いつめていくのを、黙って見
てるのはくやしい」。一票に将来の希望をかける。
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