10/05/12 14:35:10 iw75e9kp0
>>551
当時の嫁の気持ちとしては、19歳の女の子が凄い事(無謀に近い意味でね)に挑戦してる、そういう面白い子に直接会って見たい。
また、若い子を野宿させるのは純粋に危険も伴うし可愛そうって所だと思う。
あの時はまだピザ臭も酷くなかったしw
俺もそういう子に会って見たいってのと、彼女を支援する事で新たなネットワークを得られれば面白いなって思った。
支援、非支援のギブ&テイクって事で言えば、この部分が俺のテイクの部分だったのかな。
だから別に皿洗いしてくれとも思わんかったし、滞在中なんかしろって気持ちは無かった。
滞在中の行動も、満点の出来、素晴らしかったとは言えないけど、腹が立つほどのものでは無かった。
だから、うちへの滞在が終わった直後、彼女の行動が気に障ることも無かった。
多くの支援した人も、心のどこかでなんか有ったら良いなって期待はしていても、
具体的な見返りを求めて手を差し伸べたわけではなかったろうと。逆にその行為を良い行いをしたって鼻高々に思ってる人は少数派じゃないかな。
人間には他人を助ける事で精神的な満足を得たいって欲望、あるいはいやらしいけど他人を助ける事で優越感を得たいって欲望があって、
その欲望の充足先として、彼女の企画はうまく嵌ったんじゃないかな。
他人助けるならハイチにでも募金しろって意見があったけど、相手に対する具体性やツイッターを使った目新しさ、
また支援している間は彼女の0円旅という企画の中で自分が唯一の存在となれるとか、
色んな点で支援者の行動へのハードルを下げさせる所があったんではないかと。
そして自分が手を差し伸べた行為、あるいは手を差し伸べた相手に対して批判を受ければ、その批判に対して普通反論したくなると思うんだよね。
元々強く擁護するつもりは無くても、批判を受けたり目にしたりすれば、すでに支援を通して共同体になってる状況では、自然と反論したくなる。
批判を受け入れる事は自分の行為も否定する事になる訳で、人としては当たり前の反応だよね。
一度、心のポジションがそちら側に傾けば、あとは売り言葉に買い言葉、批判されればされるほど擁護の姿勢が強まっていくんじゃないのかな。