08/08/18 21:45:47 nI0ht8yX0
>>732
> 自然発生的に抱いている自国の地域や文化への愛着
それは、どちらかというと
ナショナリズムというよりはパトリオティズムだよね。
自分がよく使う例えを出すと、
秋葉原という街は、かつては、
真空管の街であり青果市場やっちゃばの街であり
アマチュア無線の街であり駅前にバスケットボールの遊び場があった街であり、
そして今は、PCパーツの街であり同人誌やメイドカフェの街である。
どの街を懐かしんでどの街を否定するか、
PCパーツの街のままにしておきたいと思うことも
ドバカメや高層ビルは秋葉原には要らない壊せと思うことも、
そのいずれもが決して、反秋葉原ではないし売秋葉原でもない。
全て、愛秋葉原である。
アメリカ的なナショナリズムというのは、
自由と資本主義が至上の価値であるということ。
それが自国の中だけならまだいいけれども、他国にまで広めようとするから
しばしばその是非が問題になる。
中国的なナショナリズムというのは、やっぱり中華思想とかなのかなあ。
あとは割り合いに妄想じみてくるけど、
「無条件で常にひとつであるべき」という、自国の過去の歴史からの教訓。
中国にふたつの政党は要らない。
複数の政党が存在する状況は結局内戦を招いて長く苦しんだ、という過去の経験。
中国は一体であるからこそ国際社会で存在感を発揮するのであり、
分裂した中国は誰も相手にしない。
曖昧な政治体制に付け込まれてアヘン戦争をはじめバラバラに骨抜きにされ、
各地に軍閥が群雄割拠する事実上の分裂状態に付け込まれて日中戦争になった。
北京オリンピックのスローガンである "One World, One Dream" は同時に、
前提条件として "One China" でもある、ということ。