08/07/24 11:55:03 NJgP9xg20
コシミズ氏の「仮説」は、あくまでも、ひとつの材料として面白いものであり、
これについて、命をかけてついていく、というものでなかったからこそ多くの支持
があったんだと思う。
せいぜい投票活動に反映させるのが関の山。
しかし、こうも泥仕合の様相、というか、コシミズ氏の問題処理の仕方が、
配慮の足らないものであることを知ったとき、我々の心はひきつる。
コシミズ氏は、条件反射的に、書き込んでしまったり、意志を表明してしまう、
いかにも軽い部分がある。
多くの中立派や傍観派は、これで心情的な支持はやめるだろう。
今後は、皮肉のこもった、あるいは、疑念のこもった視線とならざるを得ない。
「関心」の質が変わってしまった。もう、私自身戻せない。幻滅した、と
言うことである。
五人組からすれば、党の中に教条的な雰囲気が生まれ、これをなんとかした
かったのかな、というふうにも思えてきた。
この五人組のことが、もし冤罪であるなら、コシミズ氏の負うべき責めは、並大抵
のものではないと思う。
法的云々という問題ではない。もっと大事な何かなのだ。
人間として生きて行くうえで。