08/09/06 15:40:30 Ge72rL4Y
GPLにしろFSFにしろソフトウエアは人類共通の財産。それを私して配布するのはけしからん。
ソフトウエアは全てソースを公開すべしと言うのが趣旨(論文における引用文献の提示のように)
EcoLinuxはUbuntuから作者が選別したパーツだけ残して軽量化した鳥であればソースは全てUbuntuを引用と提示しリンクを張れば良いのでないの。
そして、もしEcoLinuxを鳥化する上で作者が独自開発した部分が有れば、そのいソースを公開すれば良い。
メーカーの例では、ASUSのEeePCはXandrosにASUSが独自開発した部分のソースのみを公開している。
もしEcolinuxを使って何かを作ろうとする人に対し上記の情報の提示でブラックボックスとなる箇所がなくなりGPLの趣旨に従うことになる。
GPLやFSFの趣旨および精神に従えば、頑張っている作者を応援し、「(もし)このままではGPLに違反の疑念が有るから、俺が協力してソースを公開する手伝いをしよう」と言うのが筋であろう。
「ソース出せソース出せ」という奴は本来のGPLの趣旨を踏みにじっているのではないだろうか?
己の精神が卑しいと全てが己と同じように卑しく見えてしまうようだ。
作者は、こんな