07/02/12 01:52:58
一生懸命仕事して、病気になったおまいらも晩年は、慰労品として携帯一台
しかくれない訳だ。
URLリンク(www.asahi.com)より
「本当に生き地獄でした」と、東京都狛江市の松原恒雄さん(87)は4年間の
収容所生活を振り返る。冬のシベリアは零下20度。瞬きすら凍る。飢えや病気で、
一夜で10人死んだ。だが、硬く凍りついた大地は、葬る穴を掘ることすら拒む。
たき火をおこし、熱でわずかに溶けた表土をツルハシで掘り、仲間を埋めた。それ
も翌朝にはオオカミに食べられていた。
機関銃を持つ歩哨の監視下で、見上げるような針葉樹をノコギリだけで半日かけ
て切り倒し、残りの半日で輪切りにする。あまりの過酷さに、わざと凍傷にかかり、
病院送りを選ぶ者もいた。