12/09/07 01:08:42 4qsPLMIQ
今琉球独立論が盛んです。なぜでしょうか? 1609年の薩摩の琉球侵略以前、日本と琉球は全く別の国であり、
とても日本国内の統一とか平定などと呼べるものではなく、沖縄人(琉球人)の祖国はこの琉球であっていわゆる
天皇を頂点とする日本(ヤマト)ではないことが最近、沖縄の一般大衆にも理解されつつあるからです。
日本復帰して平和憲法に帰るとか基地を本土並みに縮小できるというのが幻想だったということも理由であり、独立した
琉球国なら、国という権限で自由に憲法も作れるし、米軍や自衛隊基地を撤去することも可能ということが分かってきたからです。
独立して食べて行けるかという意見が多い、しかし、例えば香港は中国の単なる一県ではなく、独自の通貨も発行し、
独立国同様の一国二制度であるために、むしろ中国本土の何倍もの所得があり教育や福祉も充実しているのです。
資源のない香港に比べ、尖閣周辺の石油や海洋資源、美しい島々の自然、独自の素晴らしい文化や芸能がある
沖縄(琉球)の方が恵まれているのです。
独立したら中国人に虐殺されるとか、「反琉球独立プロパガンダ」が始まっています、中国からの指導者久米36姓が
琉球に移住し、その子孫は今や多数の琉球人になっています。実際、仲井眞知事もそうです。チベットの事情と違い、
同胞と思っていてる民族を虐殺することは考えられないことです。大和人と琉球人は同胞ではなく異民族だったからこそ、
琉球人が日本兵や軍部に壕から追い出されたり、虐殺された事例も発生したのです。
日本軍は琉球人に言いました「アメリカ兵に捕まったら虐殺される」と、実際どうだったでしょうか?
悪質なデマを飛ばすのが日本政府と日本人の性格なのです、「鬼畜米英に捕まったら虐殺される」
「沖縄は人民解放軍に占領されて皆殺しになる」、「放射能は安全だ」など。
琉球独立イコール非武装だから危険というデマもありますが、よく考えれば判る事�1000A独立イコール非武装ではありません。
琉球王国第二尚氏王統成立までの年表、アメリカ合衆国より古くこちらが大先輩です。
1305年―察度王 浦添按司より中山王となる。
1372年―察度王 はじめて明に朝貢し、進貢貿易をはじめる。
1389年―察度王 朝鮮と通交する。
1392年―察度王 「数丈の高楼を建造し以って遊観に備う」
1404年―武寧王 はじめて明王朝より冊封をうける。
1406年―尚思詔王 武寧王を滅ぼし、第一尚氏王統が中山王となる。
1427年―尚巴志王 この頃、国相・懐機“龍潭”“安国山”を築庭する。
首里城の第一次拡張工事により内郭整備。
1428年―尚巴志王 首里城中山門を創建する。
1429年―尚巴志王 山北、山南を滅ぼし、全島を統一する。
1458年―尚泰久王 首里城正殿に“万国津梁の鐘”を架ける。
1470年―尚円王 尚徳王を退け、第二尚氏王統成立。